2000年代フォーク・リバイバルの陰陽 『Not Alone』と『Looking For Europe』

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「アーバンぱるNEW」というラジオでフリーフォークについて話す回があり、参考文献として過去に書いた文章を取り上げていただいた。同放送内ではフリーフォークと形容された小さな運動が、やがて一音楽のジャンルになっていった過程を振り返っている。自分のように偏った聴き方をしてきた人間にとって、こうした案内はありがたい。このラジオを聞いて、やはりAnimal Collectiveをしっかり聴いておかねばと心を改めた。

フリーフォークを調べていく上で興味深いのは、同時期にヨーロッパで『Looking For Europe』というネオフォーク研究企画が立ち上がっていたことだ。この書籍/オムニバスは翻訳者アンドレアス・ディーゼルとディーター・ゲルテン(同名の気象研究学者とは異人と思われる)によって執筆・編集されたものである。80年代後半のヨーロッパ西側から徐々に拡散し、やがて一つの文化圏ともいえる領域に達したネオフォークの生態を追った内容で、主にSol Invictusといった先駆者やファンジン発行者のインタビューが収録されている。ネオフォークの多層的な歴史は一音楽の様式で括れるものではなく、本書はあくまで音楽という一つの角度から眺めた内容であることは留意したい。たとえばLaibachのようなバンドは母国スロヴェニアで勃興した芸術運動と分かちがたく、こうして幾多の方向からやってきた表現者たちを一覧するためにネオフォークという語が便宜上で使われているとしたほうが正しいかもしれない。

このオムニバスで注目すべきは、古くからネオフォークの始祖(の一人)としてカウントされているCurrent 93の楽曲が提供されていないことである。書籍の方でも同バンドの中心人物たるデヴィット・チベットは取材に答えていない。内部の事情に関しては推測するしかないのだが、本企画の製作期間である2000年代前半はCurrent 93と多くのネオフォークバンドにとって生命線であった配給会社World Serpent Distributionの停滞が始まったころであり、同社は2004年に破産した。この会社は作り手と売り手の距離が短く、ポストパンク時代に登場したレーベルたちが宿していたインディペンデント精神の残り火とも呼べる存在であったが、破産後はここに身を置いていた多くのバンド/表現者が離散してしまった。この煩忙な時期に『Looking For Europe』が重なっていたことは不運であった。同じことはデヴィット・キーナンによる『England's Hidden Reverse』にもいえる。

2006年発売の『Not Alone』を企画したのは、発売元のJnana Recordsオーナーのマーク・ローガンである。ローガンはWSD解体後のCurrent 93の配給を請け負う目的でJnanaを立ち上げた。つまり、それまではレーベルを経営した経験がなかったのである。当初は経路を失ったCurrent 93やNurse With Woundの流通を補完し、くわえてチベットが再発するつもりだったサイモン・フィンやビル・フェイの再発も配給するのがレーベルの目的であった。
これらを成功させたあと、ローガンはアフリカで蔓延するHIV/AIDS撲滅の支援目的のベネフィット・アルバムを提案した。これが『Not Alone』となる。サハラ以南でのHIV/AIDSの蔓延は深刻で、2005年7月に『アジ研ワールド・トレンド』に書かれた記事によれば、感染率は人口の20パーセントにも及んでいたという。
当初ローガンは身の回りの友人たちから音源の提供を募ったが、チベットを介することで彼の周囲からも多数がアルバムに参加した(そのおかげか、アルバムのリリースはJnanaとチベットのDurtroとの連名になっている)。そのラインナップは膨大で、ディスク5枚にも及ぶボリュームもさることながら、これほどまでに著名な作家たちが一堂に会する場もそうないだろう。WSD時代から縁のあるシャルルマーニュ・パレスタイン、Unveiled、ボニー・プリンス・ビリーといった顔ぶれは、チベットの交友の広さを示している。日本からも参加者がいて、水晶の舟やGhostといったP.S.F. Records~キャプテントリップ周辺のサイケデリック・グループ(キャプテントリップは2009年にサイモン・フィンの国内盤をリリース)、さらにAubeも2000年代から顕著になったシンセサイザー作品を提供している。配給会社ゆえに国籍問わぬ商品を扱っていたWSD時代の財産たるこの世界規模のパイプがなければ『Not Alone』は実現しなかったであろう。

出自は違えど、『Not Alone』と『Looking For Europe』は2000年代フォーク・リバイバルの陰陽とも呼べる関係にある。注目すべきはそれぞれの収録アーティストが、Sorrow(ローズ・マクドウォールとロバート・リーのバンド)を除けば重なっていないことである。『Looking For Europe』の収録曲に通底する退廃的世界観は、キリスト教義に基づく進歩主義への反動として立ち昇ってきた「ユートピアとしての古代ヨーロッパ」へのノスタルジアを動力源にしている。かたや『Not Alone』は、その多様なラインナップと音楽性の幅が60年代末的な融和の精神と、「ワールドミュージック」というコンテキストが登場して以降の、時代ごとのポップな感覚に合わせたフォーク・ミュージックの変容を反映している。シャーリー・コリンズ、ヴァシュティ・ブニャン、リンダ・パーハクス、そしてサイモン・フィンといったルーツな面々から、90年代末から登場したフリーフォークの担い手たち(デヴェンドラ・バンハートやベン・チャスニーなど)、そして上述の日本の作家から、MatmosやCOILといった電子音響派が同居している様相は、古代ヨーロッパという共通の精神的土台に立ち、限られた要素(マーチングドラム、角笛的なホーン、不気味なドローンなど)で表現されるネオフォークとは対照である。特にフリーフォークからの参加者は回帰すべき伝統、ルーツとしてのヨーロッパ像を心象風景に持っていなかった。代わりにあったのが67年前後のウッドストックであり、「Old Weird America」と呼ばれた領域である。

もちろん、スコッツ・アイリッシュと呼ばれる17世紀のスコットランド移民がアメリカ大陸へとたどり着き、この時にかの地の音楽がアメリカへと持ち込まれた事実がある。ハリー・スミスが編んだ『Anthology of American Folk Music』や、Folkwaysのアーカイヴ的リリースは、フリーフォークの作家たちにとって大きなインスピレーションの一つであった。その意味ではフリーフォークもヨーロッパ方面を志向していたのだが、それは限定的な地域に根差し、さらに音楽的な意匠の域を出ていなかった。よりいえば、The Incredible String Bandのようなアシッド・フォーク、すなわちフラワー・ムーヴメントに対する欧州からの回答がフリーフォークの原風景になっているという循環的な事情があった。
同ジャンルの代表作として記憶されるジョアンナ・ニューサムの『Ys』(『Not Alone』の9か月後にリリース)が、ブルターニュ地方に存在したとされる伝説上の都市を夢想していた事実は、フリーフォークが初めて精神的な故郷としてのヨーロッパに回帰した瞬間に思える。アメリカという世界の外側を求めた精神運動としての2000年代フォーク・リバイバルは、この時点でいったんの帰結を迎えていた、というのは言いすぎだろうか。

最後に、『Not Alone』を思い出した直近の瞬間として、HoMAlephからのオムニバス『Slava Ukraini!』を挙げておく。


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(23.1/27)

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