ロブ・ヤング『Electric Eden』は考察の起点の一つに、フォークという演奏方式の転換を置いている。氏曰く、20世紀初頭のシリンダー録音時代のフォークといえば、歌だけであり伴奏はなかった。アコースティックであろうがストラトキャスターであろうが、ギターやピアノといった楽器が添えられること自体が正道ではなかったのだ。だから、ボブ・ディランやFairport Conventionが電気によって音を増幅したことは何の不思議もないのである。本質として考えられるべきは歌って、聞いて、それを共有してきた人間がどこを向いていたかなのだ。英国とその近辺には意識すべき方向に不自由しない。なぜなら、そこにはケルト文明といった古代の風景と、それを排して築かれてきた近代のそれが重なっており、そこかしこに時間のモアレが浮かび上がっているから。街とは現代だけでなく、様々な過去の部分を残しており、空間化された時間があるのだから…。セシル・シャープやパーシー・グレインジャーのような民俗学研究者たちは、すでに自分たちの住む国から消えつつある文化ないし民俗と呼ばれるものがあることに気付いていた。そこには「正しき伝統」というバイアスがあり、シャープが方言を「修正した状態で」フォーク・ソングを記録したという偏った認識があったことも忘れてはならないが。
グレインジャーは1906年からシリンダー録音機をひっさげて各地のフォークを保存して回った。すでに70歳を超えていたリンカンシャーのジョセフ・テイラーの歌を記録し、今日からみて最古とされるフォーク・ソングが記録されたのは1908年(この歌声は長い時を経た1972年にレコードとなり、Belbury Polyことジム・ジュップはここからテイラーの歌を切り取って降霊術的フォークを作り上げた)のこと。この時期は所謂エドワード朝、10年しか続かなかったエドワード7世統治時代であり、18世紀から続いてきた産業化が都市を、近代的な生活を支えていた英国の成長がピークを迎えていた時期であった。この時、華やかさを増す都市へのバックラッシュといわんばかりに、芸術と呼ばれる領域では過去の風景を想像するものが現れている。文学においてはアーサー・マッケンの小説が顕著な例であった。ウェールズ東部に位置するカールレオンで生まれ育ったマッケンは、同じく怪奇小説家として名高いアルジャーノン・ブラックウッドが定義した超自然、いわく「人間の正常の意識の外で起こること」を、古代の記憶が遺る彼の地から授かった。マッケンの小説は日常でニアミスした細やかな、しかし確実に「異常な」ものへの恐怖を描き出す。怪異とは天変地異といった目に見えて明らかな表象ではなく、すれ違った男の顔が死人のようであったり、窓に浮かび上がった悪魔のような形相として、静かに眼前へと現れる。自身の都市生活を描写したと思しき半自伝的内容の『生活の欠片』や『夢の丘』といった作品は、郊外と都市での経験が夢という装置をもってオーバーラップする、まさしく幻視的な成果であった。
マッケンの小説にインスピレーションを受けた作曲家がジョン・アイアランドだった。1906年に発行された短編集『House of Souls』(『魂の家』)と翌年の『夢の丘』に感銘を受けたアイアランドは、幼いころの霊的な経験を手紙に記し、マッケンへと送ったほどである。
丘とはアイアランドにとって重要なランドマークであった。前述のマッケンへと送った手紙に綴った霊的体験、古い服装を着た子供たちが音もなく踊っているかと思ったら消えてしまったというそれは、サセックスのハロー・ヒル(古代宗教の儀式場跡や疫病患者を隔離していた教会があった)にてピクニックに興じていたアイアランド少年が直面したものであった。アイアランドが1933年に書いた『Legend』はこの幻視から書かれている。
『魂の家』などの数年前に書かれたマッケンの代表作が『パンの大神』である。人知を超えたところに潜む悪魔的な存在として引用されるギリシャ神話のパン(パーン)は、西ヨーロッパの古き光景を象徴するものの一つである。マッケンは古代に置き去りにされた人間の感情を呼び起こす恐怖の依り代としてパンを用いたが、ケネス・グレアムの童話『The Wind in the Willows』(邦題は『たのしい川辺』として知られる)のような童話に登場するパンは、あらゆる時間軸を越えて偏在する自然への憧れ、英国文学が「秘密の花園」といった形容で継承し続けてきた畏敬のような感情をもたらしている。笛を吹く牧神というデザインは音楽においては尚のことであった。
当時の状況からすればクラシックに限定されるのだが、20世紀前半にパンをモチーフにした音楽はいくつも存在する。ドビュッシーは1900年と1913年にそれぞれ「Flûte de Pan」(パンの笛)という曲を書いているし、グランヴィル・バントックはパン含めた古代の存在へのイメージを異教に集約し、1928年の『Pagan Symphony』(異教交響曲)へと結実させた。話のついでに時間を飛ばすと、Pink Floydは『The Wind in the Willows』のパンが登場する章「The Piper At The Gates Of Dawn」をファースト・アルバムのタイトルに引用している。バンドの、ひいてはシド・バレットの牧歌的な狂気を包括するにふさわしいチョイスだ。
フレデリック・ディーリアスは代表曲にパンを題材としたものがあるわけではないが、『春の行進』や『夏の庭』など自然を讃える曲で知られている。ディーリアスがワーグナーやニーチェに没頭し、フロリダ在住時に触れたとされるアパラチアの音楽を介した異教へのまなざしを加味すれば、『異教徒へのレクイエム』(初出は「Mass for the Dead」、死者のためのミサとされたが問題視され修正したという)という楽曲が生まれるのも不思議はない。ベルリンやパリで長い時間を過ごしたディーリアスだが、彼は都市生活に興じず、むしろ自然の多い風景を好んだ。死も自然のサイクルの一つであるという思考は、善的な「光」へと向かうキリスト教義よりも、それにとって代われてしまったケルトの母権的ともいえる死生観を思わせる。なお、ディーリアスが書いた曲の一つ「ブリッグの定期市」は、パーシー・グレインジャーがジョセフ・テイラーの歌う楽曲を編み、ディーリアスへと渡されたものが誕生のきっかけになっている。