OthonとPan Muzik

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bandcampを流し見していたら、昨年末にオソン(Othon)が新作を発表していたことを知った。ピアニスト兼作曲家、最近はDJとしても精力的な彼を一言で表すならば、マーク・アーモンドやCOILのような古典的ポップの更新者の系譜に連なるマルチ・アーティストだ。日本での知名度は高いとは言えないため、今回は簡易なバイオグラフィを残しておこうと思う。

79年のアテネに生まれたオソン・マタラガスが初めてピアノに触れたのは4歳の頃。早々にピアノの才覚を見せていた彼はギリシャ国立音楽院に進学し、16歳の時点で多数のコンクールに入賞するほどの演奏者になっていた。
オーセンティックなピアニストへのルートを歩んでいたオソンだが、彼にはピアノ以外にも音楽的原体験があり、それが自身のイマジネーションを象ることを自覚していく。その音楽とは15歳の時に物理や数学を担当してもらっていた家庭教師経由で知った「邪な」音楽、仔細に書けばロックンロール(Black Sabbath)、メタル(And Also the Trees)、The CureやBirthday Partyらに代表される「ゴス」である。特にゴスはヴィジュアル的な衝撃も大きく、反キリストに傾いた詩世界にふさわしい両性的なルックスはオソンに「変身」という概念を教えた。程なくして彼はファッション、とりわけピアスに興味を持ち、王立の学校に通う育ちの良い少年には似つかわしくないパンキッシュなメイクに傾倒するようになる。
 パンクのオリジネイターたちの中には「パンクとは反抗ではなく、なりたいものになることだった」と言う者がいる。本能のままに生きることを是としたオソンが「汝の意志することを行なえ」を教義とするテレマの法とアレイスター・クロウリーに没入していくのは不思議ではない。彼曰くオカルティズムは親しい友人から紹介してもらったそうで、これを頼りにギリシャのアンダーグラウンド・シーンを辿ったともインタビューで述懐している。クロウリーにハマりすぎた結果、オソンは2000年代前半にOTOへ加入し、ここでの人脈が後に彼の成功を後押しする。

音楽院を卒業したオソンは渡英してロンドンの王立大学へ進学し、トリニティ・カレッジ・ミュージックでステファン・モンタギュー(Stephen Montague ニューヨークのピアニスト・作曲家でLovely MusicからLPをリリースした経歴を持つ)らに師事する。英国に移住してから彼は今日まで地続きの運命的な出会いを何度も経験する。
一つはイタリアの声楽家・舞踏家であるエルンスト・トマジーニで、2005年のケイオスと呼ばれる催しで目にしたパフォーマンスに魅了されたオソンは、この時から彼と親睦を深める。トマジーニ個人の経歴と活躍も興味深く、音楽の分野一つに絞ってもオソンとのコラボレーションはもちろんのこと、ミルコ・マグナーニと作った『MADAME E.』(マダム・エドワルダ)も特筆に値する。

もう一つの出会いはオソンもかねてから尊敬していたマーク・アーモンドだった。アーモンドは早期からオソンに注目していた人物の一人で、共作のきっかけはアレイスター・クロウリーだ。当時(おそらくは今も)の最高司祭ヒュメナス・ベータことウィリアム・ブリーズにクロウリーの「Tango Song」のカバーを頼まれたアーモンドは、そのデモをオソンに依頼したのである。結果、その歌はオソンのファースト・アルバム『Digital Angel』にも収録された。
アーモンドはスタジアム級のトップシンガーであり、オーバーグラウンドとオカルティズムの世界の架け橋的役割を果たし続けていることもここに書いておこう。その一例に彼はボイド・ライスの紹介でアントン・ラヴェイのChurch of Satanにも加入していた。同組織ではマリリン・マンソンに並んで影響力の大きな会員であった。

クロウリー思想がどれほど反映されているかまでは言及できないが、『Digital Angel』は若かりし頃に愛聴していたゴスの世界で鳴り響く音楽と相成った。
アーモンドやトマジーニが参加しただけにとどまらず、このアルバムを取り巻く環境もその周辺の人物たちによって支えられている。たとえばアルバムのリリース元はデヴィット・チベット(Current 93)のレーベル・Durtroで、当然アーモンドやブリーズの人脈によるところが大きい。チベットはアルバム内でCOILの「The Dreamers is Still Asleep」を歌っており、これもオソンがEngland's Hidden Reverse、デヴィット・キーナンが定義するところの英国の秘境的シーンにして確かな「本流」の一つに連なっている証左だ。余談だが、Durtroのリリースは大半がCurrent 93の音源であったが、オソンと並ぶ数少ない例外としてアントニー・ヘガティー(現ANOHNI)のAnthony and th Johnsonsのデビューアルバムも含まれている。チベットがアーモンドと並んで理解と影響力のある存在であることを示す一例だ。
下の動画は2008年にイタリアのAmbrosio Cinemaで行なわれたデレク・ジャーマンの映画に捧げるパフォーマンスで、オソンはチベットやピーター・クリストファーソンらと共演している。

『Digital Angel』に続いて、ラヴィ・ソーントンによる数奇なグラフィックノベルのサウンドトラック、ボクシンググローブを装着してピアノを演奏する視覚的にもキャッチーなパフォーマンス(曰く、グローブのおかげで強く鍵盤を叩いても大丈夫らしい)など、表現の幅を広げていたオソンの評価は次第に高まっていった。彼に目を付けたCherry Red labelは、2011年に子レーベルStrike Force Entertainmentから『Impermanence』(無常)をリリースする。同時期にはイタリアのボディ・パフォーマンス・デュオ、Black Sun Productionsとミカエル・カールソンによるアルバム『Phantasmata Domestica』でも演奏しており、COIL直系のリチュアルIDMに華を添えている。
安定してキャリアを積んでいたオソンだったが、それゆえに大きな一歩を求めていたことを2011年のインタビューで告白している。そこで宣言していた通り、彼は2012年にブラジルのとある部族の集落へと向かい、現地で彼らとともに生活することにしたのである。以前から抱いていた非ヨーロッパ発の神秘思想や土着文化への関心こそが自らのパラダイムシフトとなるという思いからの選択であった。
現地の儀式的習慣とアヤワスカによるトリップが彼の世界観にどれだけの影響を与えたかは本人のみぞ知るところである。しかし、2014年にリリースされた『Pineal』(松果体)はそのタイトルが60年代のアシッドテストの延長にあるヘッド・ミュージック、脳に作用する音楽であることを予感させた。そしてリード曲「Dawm Yet to Come」とそのMVによって、それは確信へと変わった。

ローテンポのハウスビートとシンフォニックなストリングスを持つトラックの上にトマジーニの荘厳な歌唱が乗る美曲である。個人的にはこの2年後にリリースされたANOHNIとダニエル・ロパティンのコラボレーションに先回りしているようにも感じる。プレドラーク・パジクによるMVでは人工の建築に満ちた曇天のロンドンとパリが、広大な自然と青空に囲まれたブラジル・バイーオ州と繋がり、オソンが自然から見つけた一つのエピファニーが描かれる。オソン含めてビデオに登場する男性たちは(おそらくは)全員ゲイであり、ビデオの中で歌うトマシーニのコスチュームをデザインしたのはSunn O)))やメイヘムのようなブラックメタル派の衣装を手がけることでも高名なアレクサンドラ・グルーヴァーだ。このMVには少年期に知ったゴシックや、クロウリーと異教の世界から受け取った背徳へのオブセッション、キリスト教的価値観に基づいた「正常」と「進化」への反抗が集約されている。COILがセカンド・サマー・オヴ・ラヴ期にダンスフロアを住処にしていたことをふまえれば、クラブ・ミュージックを媒介にしたのも偶然ではないだろう(MV内で連続するカットアップ的イメージも見逃せない)。『Pineal』はセックスに代わる肉体的なイニシエーションとしてのダンスを称え、全身で聴く音楽になっていたのであった。
アルバムの半分は実生活を共にした部族の舞踏と音楽を咀嚼した楽曲になっており、モダン・クラシカルな曲群とのコントラストも印象に残る。トライバルなトラックにマーク・アーモンドが現地の言葉を交えて歌唱する「Cobra Coral」は、アーモンドとCOILによる「The Dark Age of Love」(91年)をアップデートしたものと呼べる。
オソンはマノス・ハジダキスのようなギリシャの作曲家からフロア向けのクラブ・ミュージックに渡って吸収しては変容する自らの音楽をパーン・ミュージック(Pan Muzik)と呼んでいる。Panはギリシャ語で「何もかも」を意味しており、無尽蔵に変化する音楽を端的に表したネーミングだ。その語源であるパーンとはギリシャ神話に登場する神々の一人であり、そのヤギのような角はキリスト教におけるサタンの原型になったとされる。キリスト教にとっての脅威の象徴であるパーンは、同時に多くのネオペイガニズム流派にとって崇拝すべき神であった。彼の異端な世界観のシンボルとしてもふさわしい。
さらに「何もかも」はオソンの人生観そのものにもかかっている。彼はメディアCompulsionの取材で自身の性について以下のように答えている。

"パーンは音楽に限らず、私の人生のあらゆる側面に埋め込まれているものなのです。ゲイやストレートというタームは非常に限定的なもので、私たちはそれぞれが男性性や女性性を宿していて、どちらかがもう片方よりも多くを占めている。私の場合はこの二つの極性が時と共に変動しているのです。言うなれば私は「パーンセクシュアル」な男であり、ゲイとして長き時を過ごし、バイクセクシュアルの魅力とストレートになる瞬間を持つアーティストなのです"

パーンセクシュアルはパンセクシュアルとのダブルミーニングであろう。
“全性愛(ぜんせいあい)、パンセクシュアリティ(pansexuality)、オムニセクシュアリティ(omnisexuality)とは、男性/女性の性の分類に適合しない人々も含め、あらゆる人々に恋をしたり、性的願望を抱いたりすること。全性愛の性質を持っている人を全性愛者(ぜんせいあいしゃ)、パンセクシュアル(pansexual)、オムニセクシュアル(omnisexual)という。” ( Wikipediaより)

『Pineal』以降の5年間、オソンのリリース自体は散発的になっていた。2015年にはアーモンドとジェレミー・リード(COILに捧げた詩集『Altered Balance: A Tribute to Coil』の著者)との三人で作った『Against Nature』と福島第一原子力発電所事故へ捧げた「Japan Suite」のリミックス・シングルが、2017年には日本の「木霊」という概念に魅せられて書いた楽曲を木製カバーのUSBメモリにパッケージした『Kodama』がリリースされたくらいのものであった。
しかし、2019年暮れに彼は突然(ほぼ)ピアノ・ソロである『The God Within』を発表する。これは2017年にロンドンのテート・モダーンで行なった演奏に端を発しており、オソン曰く、その時に弾いた曲の半分はその場で「自分に降りてきた」ものだったという。アルバムも同様に、収録されている楽曲は録音前に作曲したものと、録音中に「何か」とチャネリングして生まれた曲が半分ずつなのだそうだ。他の音楽様式を用いずにピアノだけで完結させているところも興味深い。
 サイケデリックかつハードなダンス・チューンから、内省的でミニマリスティックなピアノ・ミュージックへの移行を過去からの決別と受け取る向きもある。しかし、集団で一つの空間を共有してハイになるレイヴ的解放と、瞑想するかのようにピアノを弾くことで静かにトランスすることはコインの表裏ではないか。それはまさにCOILも辿ってきた道なのである。
もう一つ気になる点が『The God Within』というタイトルだ。これはパーン・ミュージックがいかに反キリスト教を起点としていようが、それはキリスト教の絶対的な力とある種の正しさを逆説的に認めているように思えてしまう。オソンの世界観は今もなお再解釈と変異を続けており、キリスト教及び神の所在に改めて対峙しているのかもしれない。同じ年に出たニック・ケイヴのアルバム『Ghosteen』の詩世界がそうであったように。

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(20.3/2)