Late for Brunch!: zappak label showcase 01

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先日の東京行。目的の一つがzappakのショーケース・ライヴだった。zappakは音楽家の Leo Okagawa(岡川怜央)さんが主宰するレーベルで、今回はその設立1周年を記念した催しである。
演奏者は岡川さんとAyami Suzukiさんのデュオ、遠藤ふみさん、Shuta Hirakiさんの3組で、Suzukiさん以外の二人はzappakから音源をリリースしている。岡川さんはかつて京都で一度お話したことがあったが、演奏を体験するのは初である。他の方々もSNS上でのやりとりはあれど、演奏はもちろん会話することさえもはじめてであった。期せずして打ち合わせなどの用事が重なったおかげで、無事に参加できる運びとなった。
会場は小川町のPolaris。辿り着く直前に右翼の街宣車がガビガビ音質の軍歌鳴らして爆走していたのは不安だったが、開演するころには無事に静かな環境となった。オフィス街とまではいかぬが、都市のど真ん中にこうしたスペースがあるのは東京らしい。

なんといってもAyami Suzuki & Leo Okagawaペアの演奏が見られるというのが大きかった。二人のライヴ録音『Undercurrent​/​Wanderlust』は声とノイズが交差し、溶け合い、また離れていく流動的な音響が堪能できる名演。同時に、実際に声含めた音を出している姿が想像できない奇妙な記録だった。しかし、いざ実演を目の当たりにしても非現実的とさえ呼べる鳴りであった。Suzukiさんの声と岡川さんのノイズは、並走というよりはそれぞれ別の場所で鳴っているものがコラージュされているように聞こえた。そびえるスピーカーの方が演者たちよりも鳴らしているように感じた、と書くと、まるで音源を再生しているような物言いになってしまうが、それほどに不思議な演奏だった。エゴを排する、というよりは演者の存在そのものを隠す音楽だった。あとこれは言っておきたいんだが、(たとえベリンガーのクローンだとしても)WASP最高!!そのノイズのせいで、誰かの落とした何かの物音だって音楽だろう。

遠藤ふみさんの演奏は所謂メロディに依存したものではなく、一音一音のはじまりと終わりを響かせるものだった。zappakからのリリース『ト​イ​ピ​ア​ノ​即​売​会』(Suzueriさんとの競演)ひいては岡川さんの演奏にも顕著なストイシズムが、この日の演奏にもあった。それは技術に偏向することへの戒めでもなければ、ミニマリズムといった語に換言できる知略めいたものでもない。もしもピアノが鳴ったなら、という問いに従う即物的な表現とした方が正しいのかもしれない。もしもピアノが弾けたなら、という段階を飛び越えたであろう先に辿り着いた、響きへの執心は実にzappakらしい音楽に思えた。時が合わず、終演後にお話しできなかったのが残念。

Shuta Hiraki(平木さん)はシュルティボックス、ただそれのみのシンプルな演奏。「なにができるか」的発想は、常日頃作曲し、それ以上に音楽を聴いている平木さんらしい出発点ではなかろうか。今回のライヴに先んじてzappakからリリースされた『idiorrythmie』でも使われていたシュルティボックスだが、実物・実演は初見であった。終演後に説明してもらえたところ、アコーディオンに近い構造だとわかった。水道管の工事がごとく、漏れ出す音に逐一反応することでアクシデントを音楽にするという奏者に厳しい楽器だ。
座布団、コップ(特定の音域を響かせるために使うようだ)、仏壇ライクなシルエットを持つシュルティボックスという3点セットが一瞬そっちの道への傾倒を想像させたが(浅はかすぎ!)、バカの勘ぐりなどよそに虚飾のない音が、しかし一抹の不思議を匂わせて鳴っていた。

終演後にはレーベルから出たAndrew Pekler『Khao Sok Extension』を購入した。ハッキリ言って利益を出すには厳しいジャンルの音楽であるが、1年で出すには結構な数のリリースを積んでいることには驚かされる。いや、利潤第一でないからこそ妥協する理由を探さずに済むんじゃないか。岡川さんの演奏やzappakのリリースがこうまで我執を断つことに成功しているのは、こうした姿勢があるからだと手前勝手に考えている。こうしてレーベルが1年続き、今回のような場に多くの人が集まったことは数字以上の価値があるはずだ。


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(23.9/21)