冬季のあれだよ、全員運動

やる気なし!

寒くなってきたせいか、ダメな状態になる日が増えた。今にはじまったことではなく、4年ほど前の冬に20時間近く寝てしまった日を過ごしてからは定期的に訪れる状態だ。今は朝起きる必要がないといえばないので、油断をしたら一気に寝てしまう。動物だもの冬は運動が控えめになるんだよ云々、今まで使ったこともないような言い訳を用意して、ひたすら寝る。深夜に郵便局のバイトをしていた時は働いている最中でもダウナーになっていたので、日照時間が足りないのだと思う。鼻をかむだけで1時間過ぎたり、延々とスマーホフォンをいじる時もあった。今日はそれを危惧して早くから外出しておきました。
家の近所は市街地から離れているおかげか、人混みも観光スポット以外は少ない。天気も良かったので、紅葉の跡を眺めては喫茶店に入り、また山々を眺めた。見事にそれだけであったが、仕事もメールを送ったきり返事なしというケースが続いていたので、ちょうどよかった。

欝々としている時はどうすべきなのか、未だにわからない。したいようにしても、根っこが改善しなければ次の日には同じ気分になっている。そもそも根っこなんて存在しないものなのかもしれない。頭痛もちと一緒で、付き合っていくしかないものなのか。文章を書く、英語の勉強をする、翻訳をする、絵を描く、楽器をいじる・・・何をしても、手ごたえよりも時間の無駄だと感じる方が勝ってしまう。山を眺めていて正解だったかな。

同じような鬱気味な知人に「カラオケいいっすよ」と薦められた。正確には、歌うことが良いのだという。宅録もどきで歌入れくらいはしたことがあるが、環境的に大きな声が出せなかったので、大声を出す経験がないことに気付いた。癇癪を起こした時は出しますが・・・。
知人は一人でカラオケボックスの一室を借りて、そこで仕事などの作業をしつつ、気晴らしに歌ったりするらしい。漫画家がよくやるというイメージなのだが、本当にそんな使い方で良いのかな?とも思う。歌も筋肉をよく使う行動なので、運動と括っても差し支えないだろう。確かに、自分は肉体を使う機会が少なすぎる。頭を使っている(フリ)だけでは、肉体が鬱を抜けられないのかもしれない。

体育会系と言われるようなハツラツとした人が苦手だったのだが、そんな人たちの代謝を見習うべきだとは常々言われてきた。迎合すると、それまでの人生を否定するような気がして・・・しかし、肉体だけが人生ではない。三島由紀夫もボディービルにハマッたのは30歳の時、なまっちろい自分と世間のイメージが嫌になったからだ。自宅に大学生をコーチとして呼ぶまでにはいかないが、自分もジョギングくらいはしてみようと思う。京都は街中に川があるから、その点はええね。ベルリンの壁が残っていたイースト・サイド・ギャラリー周辺も大きな川が街中を横断しており、気持ち良さそうなコースであった。

(16.12/7)

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