高橋葉介・覚書

求・画集(2021年7月発売!!)
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  年明けから何故か掃除を始めてしまい、捨てたと思っていた本や漫画が大量に出てきた。殆どは古本屋に持っていって処分、コーヒー代に換金したのだが、思い切りが悪く残してしまったものもある。その中に高橋葉介の漫画が何点かあった。丁度去年『顔のない女』を読んだので、少々懐かしくなって読み返すことにしたのだった。

 発掘したのはいずれも朝日ソノラマから出ていたもの。『仮面少年』、文庫『ここに愛の手を』と『ライヤー教授の午後』、そして『夢幻紳士 怪奇編』であった。恐らく以前掃除した時も同じように売るのを留まった作品たちだと思う。昔は古本屋で見かけたものは全て買っていたのだが、途中で集めることを断念したのだろう。各シリーズの記憶も歯抜けでしかない。

 少し前に河出書房からムックが出たことで、これまでよりは高橋氏の再評価が進んでいるようだ。同ムックは20201年6月に追加寄稿込で復刊される。映画『人形地獄』も公開されるし、この箇所を書いている今では画集『にぎやかな未来』の発売を控えている。この分野ではメジャーな作家であることは間違いないのだが、どうしてもクリエイターズ・クリエイター的な同業者からの評価ばかり目につくので、どれだけの知名度なのか今一つわからない。ヒット作といえるものもないのが現状であり、海外での知名度も残念ながら低いままである。河出のムックでは伊藤潤二、諸星大二郎、吾妻ひでお藤田和日朗、平野耕太らが寄稿している。インタビュー、対談、イラストのいずれも素晴らしい内容だったが、まだまだアーカイブし足りないのも事実。
インタビューはなかなか面白く、あいうえお順で応募する出版社を決めていたというエピソード(だから朝日ソノラマと秋田書店が中心なのだ)など、高橋氏個人について掘り下げる機会があったのは良かったが、好きな映画、作家などはあまり言及しない。するにはするのだが、いわゆる古典を多く挙げるため、より局所的なショックを受けた作品がなんなのか気になってしまうのだ。特に朝松健がゲストキャラクターで出演していた『KUROKO』は『Serial Experimental lain』最終回を思わせる展開で、小中千昭との縁の有無を考えさせる。同作はラヴクラフトネタも満載だったし。
以下は記憶に残っている作品。主線は筆、顔はペンという描き方はずっと同じらしいが、ここ10年は水彩画用の紙に描いているようだ。

■仮面少年
 初期の傑作としてはこれが挙げられるだろう。タイトル作は夢幻魔実也のモデルとなった麻実也少年が出てくる名作。時間の経過の描写は三島由紀夫の戯曲を思わせる。仮面は高橋氏にとって重要なアイテムなのか、様々な作品で登場する。もちろん、ペルソナ的な意味でも。
短編集『我楽多街奇譚』は社会風刺ものだが、アナーキー=コメディの式を外れない。コーヒーカップを演じる女の子を最初に目にした時のショックは忘れがたい。デヴィット・ジャックマン(Organum)のコラージュを思わせる作画は、『夢幻紳士』シリーズ』で頻発する『ツィゴイネルワイゼン』的風景と並んでノスタルジーを喚起する。デビュー作『江帆波博士の診療室』は後の作品のプロットとして愛用され、『猟奇博士』や『恐怖症博士』など延々と続くセルフパロディの鍮となる。ラヴクラフトネタの『触覚』といい、この時の絵は凄まじい情報量。ラストを飾る『荒野』はいつ読んでも惚れ惚れする。

■ライヤー教授の午後
 ミリオン少年を中心にヤン・シュヴァンク・マイエルからマックス・エルンストを横断するような前半が素晴らしく、後半の猫夫人登場パートからはコメディ色が強くなってしまうのは賛否が分かれるところ。猫夫人は作者お気に入りでもあるため、それはもう愉快に描かれているが、童話をネタにしたような虚言癖の弟のくだりあたりで多少飽きたかな。まあ100回以上読んでいる、私にとってのおとぎ話なんだけど。心臓の飼育(
血の雨に打たれるミリオンのコマは幼年期に見て以来、忘れられない光景であり、一つの審美的基準である)、首を買うサロンといった不条理が可愛く描かれる高橋ならではのナンセンス世界は、作画にも通じるコラージュ的混沌の極致。レジデンツもどきの目玉が出てくるけど、『Eskimo』がリリースされた2か月後に発表されているのはきわどいところだ。ソノラマ文庫版には傑作『傷つきやすい青春』を収録。表紙のイラスト、ゴア表現含めたギャグ、無常すぎるオチ含めて高橋作品ナンバーワン。

■ここに愛の手を
 収録作全てを記憶しているわけではない。実際、タイトル作はなんだったっけ・・・という感じ。読んだら思い出す、筒井康隆的ブラックユーモア短編である。「顔がない」のような落語的なオチや、『無題』の逆赤ずきんちゃんといった童話的なストーリーは短いながらに良くまとまっている。このモンスターは『学校階段』に「ム・ダイ」としてカメオ出演。『義眼物語』もペローの童話的な無常さと抒情がある。

■Uボート・レディ
 第2次大戦大好き(変な意味じゃなく)な氏の趣味が色濃く出たシリーズ。ヒトラーネタは『夢幻紳士』でもやっていたが、よくあるエンタメ設定なのであまり頭に入らず。正にモンドを地で行く、昭和のおっさんの遊びだけにいまいち理解し辛い。ま、これはミリタリーとかに限らず、あらゆるカルチャーに言えますが。もっと暗い内容だったらハマってたかも。同じ理由で『海から来たドール』も今一思い出せない。

■学校階段
 割と長期連載で、当時(95年)のホラーブームが伺える作品。とはいえ、1話完結のアイデアが次から次へと出てくる高橋氏のバイタリティ(と一つのネタをあの手この手でアレンジする)は、この時にピークを迎える。キャラクターもかつてない程に作られ、さながら「るーみっくわーるど」・・・いや「ヨウスケの奇妙な世界」だった。実際に『夢幻紳士』とリンクするという、ファン泣かせの大河ドラマにもなったし。でも一番面白いのは九段先生が出る前だな。手塚漫画のスターシステムを毎作更新するという大仕事を果たした山岸くん初めとするキャラクターたちの名演が光る。明言こそされていないが溝呂木博士の血縁者まで登場(しかもコメディリリーフになる)。話運びが秀逸な「座敷童」、タイトルは忘れたが『バトルロワイヤル』が可愛く見える殺人鬼女子高生の胴体切断オチ、めちゃくちゃ怖い「ヤマギシ」や「壁」などなど、やっぱり初期が最高です。

■KUROKO
 連載当時から知っていた記憶があるのだが、あまり記憶に残っていない。確か五体がバラバラになった民間人がいた気がするのだが...それはいつものことである。高橋版『バットマン』または『パーマン』かな…と思って読み返してみたら、そんなに間違った例えではなかった。ラヴクラフトが相当高く、これを通していたチャンピオン編集部に驚く。エネルギー波を『バビル2世』世代らしい描写は珍しい。最終回はやっぱり『lain』としか思えないのだが、こういうオチもラヴクラフトネタの範疇だったりするのか?ホラー小説好きからの評価が気になる。

■恐怖症博士
 これはリアルタイムで読んでいた記憶がある。古典的な落語オチが目立つ序盤は正直微妙だが、突然路線変更したのか、ハッピーエンドオチが見え始める中盤は良いエピソードに恵まれている。高橋連載作品にありがちなのは、序盤が典型的スプラッターコメディで、中盤から作者が過去のネタをこねくり回すリサイクル時期に入ること。で、ここで時おり作者本人も意図しなかったような(?)脱線を見せてくれるのだ。「電波恐怖症」、「水恐怖症」のラストは年齢を感じさせるペシミスティックさもあり、ノスタルジックな気持ちにさせてくれる秀作。作者公認『ドリアン・グレイの肖像』からとった「良心恐怖症」もらしくて良い。打ち切りなのか、ラストは当時の政治ネタおよび核戦争をネタにした強引なオチでした。この辺はデビュー期から変わってないね。「猫恐怖症」は今だとクレームを受けるとしか思えない話だが、時代と雑誌故か。助手の性別と体形が変わるところは、『猟奇博士』のユン・ピのセルフパロディであろう。

■夢幻紳士(リュウ)
 キャプテン版と一緒にされていたりして、今いち区別が面倒なシリーズ。「オチが全て」と氏が語っており、プロットなどは割と使いまわしが多い。後半は殆ど父親ネタだし。日本陸軍やヒトラーネタなど定番のネタがたくさん。猫夫人も登場。映画『人形地獄』の原作含んだマンガ少年版ではなく、「冒険活劇編」と呼ばれている。

■夢幻紳士(怪奇編)
 初めて読んだ時、同じタイトル、同じキャラクターなのに雰囲気が違いすぎると戸惑ったのが懐かしい。マックス・エルンストや水木しげるが持つ、コラージュ的な美しさとは異なる魅力を感じたのは裸や臓物といったゴア表現のおかげかな。「老夫婦」や「沼」、名前は忘れたがリンゴを撃つつもりが女を撃ってしまった(オチは秘密)話がお気に入り。『夜の劇場』は明らかに何かの小説を基にしたシナリオだが思い出せません。!シリーズではないが、単行本の最後に入っている原作付の『白髪の女』も良い。高橋氏のストーリー・テリングがシリアスに発揮された場面であった。

■その他
 『少年と犬』のテンションは半端じゃない。実はこういう作品は少な目だけど、『クレイジーピエロ』の青写真だろうか。『腸詰め工場の少女』は「トラジェディリリーフ」と言えばいいのか、不幸少女・那由子の初登場作品である。『夢幻紳士』の「目隠し鬼」にも登場して、やっぱりエライ目に遭う。いわゆるPTAのラディカルな部分と『エクソシスト』を組み合わせた『死霊教師』などは笑えはするが、笑いの基準が昭和真っただ中なので現代での再評価は難しいだろうな。古今東西の寓話・怪談はたいてい女性が被害者でありトラブルの種とされているし、その通りに描いてしまうのが高橋氏だから。『富江』とか、他人だってそうなんだけども。『壺』は『俺の屍を越えてゆけ』の朱吞童子から黄川人が出てくるシーンの元ネタになったと勝手に思っておる。
(15.1/4, 21.6/7)