SCOOBIE DO@紫明会館

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紫明会館という、歩いていける距離にある場所でスクービーのアコースティックライブがあるというから流石に参加した。思えばライブを見るのはコロナ禍以降初である。従来は客が声を出しては揺れまくるライブだったので、声出し禁止やソーシャルディスタンスといった制約が窮屈だとか以前に、遠慮しながら演奏し、参加する図がいたたまれなかった。いつも隅っこの席で棒立ちだった自分でも思うほどに。
 コロナ禍以降のバンドといえば、配信ライブを定期的に続けたり、グッズを作りまくったりとあの手この手で生き残ろうとしていた印象が強い。こう書くと失礼に聞こえるが、音楽もそんなあがきから生まれた余剰の一つであり、流した汗のようなものだった。時勢に傾いたせいで現在ではあまり歌わなくなったとおぼしき曲もいくつかある(「ALIVE SONG」や「夏にはいいことあるだろう」)のだが、昨年出た『TOUGH LAYER』の曲も直接的な表現が控え目なだけで、その一環と思う。正直なところコロナ禍以前の数枚と比べて、音楽的な完成度がいまひとつというのは私見だが、過去には出しようもなかった悲愴や我慢の色はここ数年の曲にしか宿っていないのも事実である。なんだか東日本大震災のあった年に出た『MIRACLES』から『かんぺきな未完成品』に至る流れを思い出す。そういえばコロナ禍直前に出た『Have a Nice Day』も、震災前年に出た『何度も恋をする』のように夏を讃える内容だった。つくづく運がない。

いつの間にか各種の規制が取り払われ、見た目だけならコロナ以前のライブが当たり前になった今日だが、かつてと同じような気分かといわれたら首肯は出来ない。バンド本人たちがナタリーだかのインタビューで、元通りってことにはならないとドライな意見を口にしていた。それとも、もっと時間が経てばこんな風には考えなくなるのだろうか。先がまったく見えないというか、思考と現実の速度が全くかみ合わないままの3年と半年であった。

いざライブが始まれば、着席制とはいえ声出しはいつも通りであった。とはいえ歌うことを招きはするが、煽りはしない振舞いに大人の作法を見た。拍手を求める曲が多かったのもその一環だった。何と真面目なことか。
シュウさんは相変わらずプロンプターなしで歌う。演奏は「アウェイ」のジョーさんによるウッドベースソロが特に懐かしく思えた。「イキガイ」の、原曲にないブルースハープのアレンジと、「美しい日」のスキャットが綺麗すぎて酷なくらい。この二つは更年期になったら(なったとしたら)もっと好きになるだろう。スカパラと高橋幸宏による「ウォーターメロン」のカヴァーというのも渋かった。

コロナ禍がはじまって3年と半年、スクービーを最初に聴いてから今年で20年という事実に呆然とするが、時の流れしか自分を担保するものがない気もしている。もっとこの事実に深入りできたら、今起こっている出来事に悩む時間も減るだろう。楽な方がいいに決まっている。ただ、それができるかどうかは別の話だ。終演後は歩いてフレッシュネスバーガーまで行って、終日190円のビールに甘えてきた。もうこれ以上の贅沢はこの夏できまい。

セットリスト:真夜中のダンスホール→Guitar, Drums & Bass, Funky Microphone→One Short Summer→夕日の進むほう→アウェイ→光の射す道へ→恋をした男子→SUMMER BLUE(ブレッド&バター)→ウォーターメロン(東京スカパラダイスオーケストラ ft高橋幸宏)→八月の天使→美しい日→イキガイ→Cold Dancer→新しい夜明け→また会いましょう→ラストナンバー→バンドワゴン・ア・ゴーゴー


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(23.8/29)