remodel show case at environment 0g

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京阪淀屋橋駅から桜川の会場まで徒歩30分。COVID-19何度目かの変異株が流行の兆しを見せ始めた時期でもあったので、ピークタイムの電車利用を避けた往路だったが、久々に訪れた大阪市中の様子を眺めるには良い機会だった。御堂筋から西へ数本あるけば、一気に人通りが少なくなる。道中で見かけた昭和の面影(画像)、数メートル離れたところからでも耳に出来る低音と、現場に着く前からすでにライヴという体験を思い出している。そこに行くまでの風景も少々特別に感じるものなのだ。去る12月25日に大阪は桜川のヴェニュー「environment 0g」にて『remodel Show case』というコンサート、ギグ、とにかく催しが開かれた。故・阿木譲が晩年の拠点にしていたクラブで、死後も平野隼也さんが切り盛りしている。コロナ禍以降では、モーマスを見て以来なのでおよそ3年ぶり。今回は阿木氏の精神的なブランドにしてレーベル「remodel」からリリースした作家たちが一同に会するとのことであった。以下は参加した25日公演のレポートめいた記事だが、途中からの参加であったことと、26日公演には不参加であったことをここに書いておく。

0gの間取りは独特で、鍵のような形状である。壁には剥き出しになったケーブルやスピーカーを使用した環境的オブジェが付随しており、椅子に腰かけるとすぐそばにその節々が目につく。薄暗いコンクリートの箱庭というシチュエーション自体がまず懐かしい。久しぶりに訪れたせいもあって、その空間全体を余すところなく眺めておきたくなった。着いてからすぐに始まったRYECROFTの時間は、こうした0gを思い出す作業と共にあった。Elektronのドラムマシーン(たぶんサイクルズモデル)由来のビートはそれ自体が音色を持つように個性的だった。トライバルなリズム、そしてArcaのようなヴォイスのエコーと、セクションの転換がDJ的であっという間の50分間であった。近年は機材をズラリと並べての演奏が増えていると、横から耳にした。ラップトップとにらめっこする視覚的な退屈さの反動なのか、ソフト主体の環境による自由度の高さが逆説的に制限になることを考慮してか、所有欲だけはある身としてはテーブルに機材が並んでいるだけで嬉しい。とはいえ、それも一つの流行として通過されるものなのか、後のJunya Tokudaはラップトップを心臓にした演奏だった。音も凄かった。とにかく、この一晩で自分がそもそも現場に疎いこともしっかり思い出せたのは良い体験の証拠だ。

マシーン(機材)や一機能のポテンシャルを引き出さないうちから、横断や限界といった表現を使うことへのアンチまたは警戒の表れかもしれない。卓越した職人エンジニアがリバーブ一つで複数の効果(のようなもの)を実現することにも近い。阿木氏の提唱した尖端音楽という概念は感覚的なアプローチを想起させるし、実際そこに立脚しているのだろうが、remodelの作家たちは頭より先に手を動かしている実践主義者でもある。ひょっとしたら晩年の阿木氏のDJも、その傾向があったのだろうか。とにかく、思索のアウトプットがアブストラクトな音であるところに音楽(そしてremodel)の面白さと可能性が宿っている。古いとか新しいという表現に依存する必要もない。気付きを与えるなどのソフトな理屈ではなく、ショックを与えられて混乱する可能性がそこにはある。ハードなリズムと高密度化を伴っていくRYECROFTとJunya Tokudaに挟まれた、Zenroの空白と感傷的な音色のやりとりは、スタイルこそ多面的でバリエーションに富むが根は一つというremodelの性格を反映しているように聞こえた(この日のアクトの一部はremodelのコンピレーションには不参加だが、とても"似ている")。それはトレンドという画一的な評価ですくいとれるものではなく、未だアメーバ的に変異する過程のような不均衡な音楽で、良い意味で着地点がない。未だ工事中のビルが生い茂る御堂筋から少し離れている0gのロケーションと相まって、remodelの音楽は中心でなく周縁、少しだけ先に尖って前へと進もうとしているそれに思えた。私が出不精なだけでこうした動きは都市のあちこちにあるのだろうけど。
0gが阿木譲晩年のヴェニューにして秘境伝承の地というイメージは今後も残っていくが、この場とそこで鳴らされる音楽は独自の生態を見せていき、決して一つの触れ込み、阿木ブランドのパブリックイメージに集約できるような存在には留まらないだろう。逆説的にそれが阿木譲イズムの継承でもある。



戻ライザー

(21.12/29)