写真発掘の儀

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身内の事情で親の家の大掃除に励んだ。掃除といっても、大量に出てきた写真から自分の望むものを選別しろとのことであった。家族写真はほとんどが小学生時分に撮られたものだったが、それもそのはず一家はわたしが10歳くらいのころからバラけていたのだ。その割に帰省した時の写真が多く、その9割が親戚一同で鍋を囲んでいた。食い意地が張っているだけともいえるし、写真を撮るような口実がその時ぐらいにしかなかったのだろう。気さくな親戚のおじさんのような存在はわたしにはいなかった。

目当ては自分が生まれた青梅、その西部たる吉野の「当時の」風景であった。しかし、それを捉えたものは存外少ない。風景よりも家族を被写体にするのが当たり前であるからか。インスタントカメラ特有の淡い色彩がいかにもノスタルジーを誘うのだが、現在に至る私と一家の道筋を思えば、その能天気さに頭を痛める。誰しもそういうものかとは思うが、過去に対する虚しさを募らせてしまうのは避けられなかった。私の倍生きていて、残り時間が半分にも満たないであろう親の悔恨は察するに余りある。不真面目なので「出来の悪い子でスマヌ」など、毛ほどにも思っていないが。

この不満げな顔は何事かと思うが、小学校高学年くらいの私のはずである。いや、兄弟かもしれない。とにかくロケーションは当時住んでいた家の庭にあたる箇所であり、記憶以上に広かったものだと驚いた。

低学年時分の私。後ろに見えるビルは謎の工場で、今も稼働しているかは不明。このグラウンドは2013年にも訪れたが、当時は精神的におかしかったので大して記憶していない。改めて訪れたいものだが・・・。なお中央に映るベンチは、その時にはなかった。なぜ、写真の中ではこんなど真ん中に置かれているかは謎だ。
このグラウンドの向いには天理教の事務所と、変な廃油処理場があった。小学校へ行く道程で、この処理場の前に落ちていたカラスの死体を強烈に覚えている。

まともな写真はこれと、家でゲームをしている時くらいのものであった。ほぼすべて処分するように家族に告げた。長い時間をかければ、ここに保存された一族の存在をなかったことにできる。そんな可能性が自分に残されていると考えると、なぜだか気分が晴れた。最終的には自分の存在を消して、今まで書いてきた「わたくし事」もすべて撤回したいくらいです。仕事はします。

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(23.6/8)