『パリ五月革命私論』

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義務感で読んでも目が滑るだけなので、調べ事などに必要などの理由からでしか本を手にとらなくなった。だからこそ資料と教養書を兼ねたような本に出会った時は嬉しい。

68年および60年代という期間について知る必要がでてきたため、68年パリの学生運動、そのさ中にいた著者がデータを用いて当時を論じた西川長夫『パリ五月革命私論』を読んだ。「私論」とタイトルにあるため、事実よりも著者の主観が強く反映されていたら、と少々不安にもなったが、いざ読んでみれば膨大なデータによる裏付けと、それらを接続する著者の生々しい記憶の配分が資料としてはもちろん、読み物としても心地よかった。難解な印象は一切受けなかったが、簡潔な内容というわけではない。一読しただけでは注釈や補足されている文章を検証するだけで時間をとってしまう。しかし、調べれば調べるだけ、個々の情報が繋がり合う。事実が互いを裏付ける。当然のことと思うだろうが、雑然と事実を並べただけの本ではこうもいかないのではないか。読者が能動的に本へと入り込み、そこに収められた68年を眺める交通整理が親切に行なわれている。そこでは運動の成功/失敗という二元論に偏らず、そうでないからこその「5月」であると言わんばかりに多くの風景が指し示しめられている。

本書でも比較として登場する西海岸のウッドストックなど、政治、社会、芸術にさえ波及した期間の出来事それぞれの同義性あるいは異議性を淡々と描き出す試みは、畏れ多いが我が本業とも大いに重なる。事実(当時の写真含)と記憶のコラージュ的記述は著者本人像を隠しつつ、時おり「私論」にふさわしい生の声をもって安易な結論づけを阻止する。繰り返すようになるが、それこそ68年、それどころか社会が未完であり続けることの証明ではないか。イマニュエル・ウォーラーステインが68年を6つの命題によって総括したことに対して著者が異を唱えるくだり-ウッドストックを失敗ではなく遺産として認識すること-はその好例であった。語ることがそこで語られてる主題よりも重要であるという不確実性を尊重した見識は、芸術でいえば「質問は答えよりも重要」という(ポスト)パンク的アティチュードと重なることもあり、これが自分にとって希望のようなものになった。浅学ゆえに取り上げられる固有名詞や出来事を個々に調べていかねばならないが、特に関心を引いた箇所を以下に挙げる。

■シチュエイショアニストたちの理想の一つであった全学連という記述
知ってるようで詳しくない状況主義。調べねばならない。赤瀬川源平の本でも言及されてたりするんだろうか?

■システムの破壊を目指したものが、その管理者となることに落ち着いた事実
言い換えれば枠を破壊しようとする試みが枠内で繰り広げられるに終始すること。これはどの世界でも進行形で起きている問題であり、社会運動を推し進めるうえで目を背けてはならないことと思う。今の日本でいえば与党と野党(特に第一党)の近似が否定できないことや、草の根運動から「出馬する」政治家の登場が該当例だろう。本質的に政治とはヒエラルキーの設置であり上層の椅子取りゲームだと豪語するアナキストでさえ、集合を作ってしまえば同じことを繰り返す。この法則から逃げることはできないまでも、省みて防ぐことはまだ現実的と考えるほかない。「68年は西欧世界が初めて自己批判した機会である」とは著者の言だが、この自己批判というタームはどんなスケールでも存在し、必要になる。それを「後ろから撃つ」と形容することには警戒しつつも意識すべきだろう。
■ビタミンC
占拠されたオデオン座内には当時の運動内で提唱されていた無数のスローガンが貼られていたという。このくだりの想像喚起力たるやすさまじく、著者の文体の美しさが地味に、かつ鮮やかに発揮されていた。ここで出てくるものの一つが「ビタミンCが足りない」で、まさかCAN「Vitamin C」の歌詞の元ネタかと驚いてしまった。ダモ鈴木さんが直接的に言及したとは考えにくいが、当時のドイツの街並みにもこのスローガンが貼られており、その風景として切り取られたのがあの歌詞であったとしたら・・・あの時代にしか生まれ得ない曲であったということになる。

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(21.4/2)