私的ゴースト・ミュージック 10枚+1曲


「なにかの痕跡や記憶から作られたゴースト・ミュージックのようなもの」とは、Ghost Boxレーベルのジュリアン・ハウスが英国BBC内に設けられた電子音楽スタジオ「Radiophonic Workshop」の音楽に対して贈った言葉だが、筆者はこのゴースト・ミュージックという名称をやたらと気に入ってしまった(すでに各所で使われていたとしてもかまわないのだが、一種のタグにはなっていないようだ)。筆者個人がことあるごとに何かから見出すノスタルジアは、この語で言い換えられる。Ghost Boxの記事を読んでいただければ伝わるかと思うが、Ghost Boxを評したHauntology(憑在論)というタームの、筆者版だと思ってもらえればいい。それは以前どこかで感じたことがあって、安らぎとも不安もいえぬ、しかし拒む気はしない気持ちを生むものだ。おばけという響きが持つ人懐こっさのようなもの、か?とにかく本記事ではそんなゴーストなヴァイブスを放つアルバムや曲を選んだ。ここ最近の作品から多めに選んだのは、気を抜いたら90年代末や2000年代中期のものだけになってしまうからだ。とはいえ、当時のものであれば全部よしというわけではないことは主張しておきたい。

Space Afrika / Honest Labour (2021)

Ghost Funk Orchestraや後述のMichael Arthur Holloway的なノアール風の空気が醸造されたコラージュ・アンビエント。客演のBlackhaineによるラップとリリックにこそ気を引かれるが、ほぼ全曲がアルバムのラジオ的構成を支えるパーツのような役割になっており、目立った盛り上がりを迎えることもなくさらりと終わっていく。まさに架空のラジオをコンセプトにしている Oneohtrix Point Neverの『Magic Oneohtrix Point Never』のようにフェイクな態度で開き直っていないせいか、すぐそばにある不思議なリアリティを持つ音楽だ。これがマンチェスターという都市の記憶、街全体に染み込む退廃由来のものだとしても、遠く離れた土地と環境の人間に引っかかる何か≒ノスタルジアという共通性を確かに生んでいる。COILと同じDaisからのリリースだからというわけではないが、The Hafler Trioがもっとポップの方向に目配せしていたのなら、このような音楽になり得たのかもしれない。

Salami Rose Joe Louis / Chapters of Zdenka  (2020)

2019年の『Zdenka 2080』のボートラ的位置づけにあるアルバム。Brainfeederからリリースしようとも、1st『Son of a Sauce!』にあったベッドルーム的宇宙観は変わらず。幼少期に「自分は別宇宙からやってきた女の子である」と思い込んでいたリンゼイが、Stereolabとモート・ガーソンから受け取ったロマンティシズムを自身で開発したグルーヴ(化学式を基に算出したビート)に乗せたコズミック・シャンソン。スペースエイジと『星の王子様』的メルヘンが融合した永遠のおとぎ話。

あがた森魚 / 観光おみやげ第三惑星  (2019)

311をきっかけに、年に一枚オリジナル・アルバムを発表すると己に課したあがた森魚による「ティーンズ・ミュージック」(10年代音楽)末期の一枚。泣きと余韻に満ちたあがたの歌は、しかし過去に留まらずにさまよい続ける旅人の日記である。『乗物図鑑』的多重録音の上で詩は速度を上げてダダり、タルホる高踏未来派一直線。飛行機からマッキントッシュまで生まれた20世紀の化石にして、今日でもなお失われた未来を探索し続けるボイジャーことあがたは、己の内から湧き出る未来への期待と不思議をゴールデンレコードとしてのティーンズ・ミュージックに封じ込めては世代を問わずあいさつに回る。


『スーパードンキーコング』  (1994)

昔から海外かぶれというか舶来コンプレックスの強い環境で育ったせいなのか、とにかく海外のマンガ(ニンジャタートルズとか)やゲームに弱かった。そこには日本で作られたものにはない「おかしさ」があり、そこに心地よさを感じた。綺麗というよりも奇妙なグラフィックとヴィジュアル(なぜゴリラが工場の中で暴れまわり、トゲのついたタイヤのような敵がいる海の中をわざわざ泳ぐのか...など)、そして主張の少ない、今の語彙で言うならば環境音的なBGMに今日も魅入られ続けている。美メロとオーケストレーションが重視されている『2』も当然素晴らしいのだが、一番落ち着くのはこっち。作曲はデビット・ワイズとイーブリン・フィッシャー。

Nurse With Wound / Who Can I Turn To Stereo (1996)

NWWの原始的=ノスタルジックな世界観は私的ゴースト・ミュージックの要項を満たすもので、それはもう数多の作品を候補に挙げることができるのだが、今回はよりオプティミスティックな本作を選んだ。これはCOILのメンバーが参加した唯一のアルバムであり、90年代からスティーヴン・ステイプルトン個人の中で(そしてモンド・ミュージック現象の中でも)再評価が始まっていたペレス・プラード―幼少期にラジオから耳にしていた奇怪な音楽―に頭の先まで浸かったアシッド・マンボである。CDメディアを活かしたノンストップ構成は、NWWがDJ受けするところとつながっている。不協和音と「Yagga Blues」のエキゾチックなパーカッションを延々と行き来する歪なヴードゥー世界は、BBCのラジオドラマ、人間の体温を感じさせないホラーSFを想像させる美しい陳腐の時間だ。オープニング「Tune Time Machine」はアンテナの狂ったラジオのようであり、かつてのステイプルトンやCOILにとってラジオは本当にタイムマシーン的な装置であったことの宣言である。リンク先はピーター・クリストファーソンの死を悼んでリリースされた2011年再発版で、2021年にはLPでもリイシューされている。

Xordox / Omniverse (2021)

Foetusで知られるJGサールウェルが、自スタジオで適当に演奏してみたシンセサイザーのアルペジオと、同時期にストックホルムのEMSが所蔵するブックラで録音したフラグメンツに触発されて生まれたオール電子音プロジェクトがXordox。本作はその2枚目で、JGの数多の名義に通底するスペースエイジ的質感がより強調されている。音響面での革新性を追及する傾向のあるEditions Megoにおいて、ここまであけすけにムード重視の作品は稀に思うが、だからこそ筆者は夢中になったのだった。パーカッション的な音によるリズムとダイナミクスによってメリハリをつけられる展開は、東欧のクラシックに入れ込むJGらしさであり、ペンデレツキィといった作家たちが『スターウォーズ』のサウンドトラックを担当したら、といった子供らしい問いかけにも見える。世代ゆえ筆者は『クラッシュ・バンディクー』のようなSF感が胸に去来する。あっちのBGMはDEVOのマーク・マザーズボウである。

David Boulter / Lover's Walk (2021)

Clay Pipeからもリリースしているプラハ出身の作曲家が、故郷の思い出を音で綴ったアルバム。ヴィブラフォンやチェンバーな楽器群が、ロッド・マッケンのようなポエジーを包み込む。それこそマッケンが朗読と歌を担当した『ピーナッツ』(スヌーピーです)のシングルと同じ香り、土と雨のそれが混じったものがここにはある。インスト版も別個で販売されている。

Andrew Chalk / The Circle of Days 5 (2022)

珍しくアートワークが本人によるペインティングではないカセットテープ連作の5本目。Clay Pipeを思わせる絵本からの切り抜きと思しきアートワークと連動したのか音が先になったのかは不明だが、またたくドローンの裏でリズムを刻んだり、サックスのようにも聞こえる電子音が漂う、文字通りムーディーで異色作とさえ呼べる。かつて存在したものの痕跡が漂わせるエソテリックな気配とわずかな懐かしさは変わらず、ここはGhost Box的憑在論とも多分に重なるものである。

Michael Arthur Holloway / Strange Cargo (2021)

2016年作『Guilt Noir』で知って以来ファンになったポートランド在住の作家。Detour Doom Projectらと同様にDark Jazz/Noir Ambientというカテゴライズに対しては自覚的なようで、「架空の『ツインピークス』のBGM」というコンセプトを冠した前作からもそれは明らかだ。本作は湾港を舞台にしたノアール、さながらラヴクラフト神話の劇伴といった体で展開されている。『THEビッグオー』や高橋葉介の漫画から抱く情緒がここにある。

ゆらゆら帝国 / REMIX 2005-2008 (2008)

『しびれ』と『めまい』に『空洞です』、坂本慎太郎ソロに至っては「幽霊の気分で」のような曲があるように、Ghost Boxが追及するムードはこのバンドの世界観そのものではないか。ソロ『ナマで踊ろう』発表時のインタビューで坂本氏が「古い写真に写っている人たちの多くが亡くなっていると考えたら怖い」と素朴な恐怖を吐露していたが、音楽は恐怖とその対象の両方を演じているかのようだ。ほら穴的リバーヴで強調された「あえて抵抗しない」のボーカルや、「学校へ行ってきます」の木管楽器とブリープめいた電子音のこだま、今日では石原洋『formula』(2020)のことを連想させる、雑踏とおぼしき音がコラージュされた「つぎの夜へ」のアンビエンスはGhost Boxを通過した耳ならば没入できること請け合い。ここ数年は、バンドのディスコグラフィーを通してみても、このリミックス・アルバムが一番しっくりくる。

J_KANE / 「Galaxy Forest 11.6&12 On Line」from 『V-RARE SOUND TRACK 11』 (2003)

最後にもう一つゲームから。家庭用『 pop'n music』シリーズが初出の本曲は「SCREEN」のジャンル名にふさわしいコズミック・ホラー風の大曲)。メドレーではなくぶつ切りと呼びたくなる展開は、ゲーム収録時に1分半という尺へ合わせるための工夫をそのまま拡張した結果なのか。高難易度であることや、ゲーム収録音源は逆再生しても同じメロディになるといったギミックが取り沙汰されていたが、今日では昔の曲なので現役プレイヤーからしたらどんな立ち位置であるかは察しかねる。
Michael Arthur HollowayおよびDark Jazz\Noir Ambientと称される音楽を聴いた時はもちろん、COILのメランコリックなオーボエとクラリネットを耳にした時はいつだってこの曲を思い出す。ひたすらにムードを重視した、最初から古いゆえに永久に古びない音楽だ。

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(22.4/11)