| ※『FEECO』Vol.7のディスク・ブックレヴューより転載。同号には島田さんの近況報告やスタジオ写真も掲載されているので、そちらもお読みください。 島田英明は、これまでAgencement (アジャンスマン)の名前で作品を発表してきた。ヴァイオリンとエレクトロニクスによる響きのタペストリーとでも形容できる音楽は、実験的なサウンド(≒響き)の現場としてのジャズを通過してきた、島田の人生の刻印に思える。Agencementとして2023年に発表した『BionomicalCascade』(これも自主レーベルPICOから)は、リバーブや音の減衰一つとっても70年代のタッチを有するものだった。それはNurse With Wound(NWW)が79年から82年に残した初期作品、すなわち70年代の余波のごとく現れた音楽に通ずるものがある。ECM、Incus、Futura、Cobraといった欧州ジャズが先鋭的で、かつてなかった音楽とみなされた時代のエコーとしての音楽。それはプレイヤーではなく、リスナーによって生まれたものと換言できるはずだ。 80年代に目覚ましく進歩した機材に後押しされて発展したクラブ・ミュージック、あるいはジャパノイズとして定義・発見されたジャンルとしてのノイズなど、島田と同世代の作家たちも移りゆく音楽の変遷に対応してきたが、島田自身はリスナーとして開眼した時代の空気からかたくなに離れないでいる。保守的という意味でなく、自らをかたどる輪郭(エッジ)が確固たるもので、そこから動く必要がないという意味でマイペース(これはNWWのスティーヴ翁にもいえる)なのである。 昔から愛用してきたシンセサイザーやファルフィサのオルガンなどを使用して作られた本作『電子音楽集2』も、ヴァイオリンが使われていないだけで、志向されている音楽性、いや島田が音楽に期待しているものはAgencementのそれと離れていない(同時期には石上和也氏のレーベルNEUS-318から、同じ方針で作られたカセットが出ている)。端的にいえば、電子音楽という表現方法や語自体からして新鮮で、その可能性が特別視されていた時代への憧憬である。音の響きはNWW初期作のように穴ぐらの奥から鳴っているようで、その音の抽象性からして演奏してる姿を想像しづらい。地方からひっそりと出された点含めて、ドイツのSeesselberg(74年に1枚だけ自主レコードを残した)が一番近いかもしれない。しかし、これはあくまで島田が経過してきた時代と比較してのことである。ここはアスムス・ティーシェンスが後発のEntr'acteや90%Wasserといったレーベルとシンクロしていたように、現行の音楽(「時の崖」レーベルから出ている諸作などいかがか)として日々作られるエレクトロ・アコースティックと『電子音楽作品集2』の距離の短さを知るべきだろう。そうすれば電子音楽というアイデアへの期待が、世代を問わずしてまだ損なわれていないことを実感できる。 (26. 4/15)
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