フロリダのヘイデン・サイラス・アネドニアのペルソナ、Ethel Cainの音楽を聴いたのは『Perverts』 がはじめてだった。さかのぼってヒット作(らしい)『Preacher's Daughter』にあたってみると、伴奏の音楽性にややギャップがあり意表を突かれた。かねてからのリスナーにとっては、『Perverts』にこそ戸惑いを感じたようだが、筆者にとっては本作がEthel Cainになってしまっただけに、『Preacher's Daughter』は受け入れがたいのが現状。8月に出るという新作からの先行曲を聴くには、やはり『Perverts』が特別だったのだろうか。 同じような経験が一年と少し前にもあった。カリフォルニアのLingua Ignotaことクリスチャン・マイケル・ヘイターが Reverend Kristin Michael Hayter名義で発表した『SAVED!』である。これもLingua Ignotaの音楽を通らぬままに聴いたことで、第一印象が同アルバムにて固まってしまった。 『Perverts』と『SAVED!』の様式は、ほぼ独唱に近いフォーク・ソングであり、細部を見ればより多くの共通項が見つかる。リリックの面では内面世界を断片化したとおぼしき独白と、賛美歌(以降は言及が少なめになるので書いておくが、『SAVED!』収録曲の大半は19世紀以前のゴスペルやフォークである)の引用。サウンド面ではアナログな質感を重きに置いた録音。徹底して陰鬱なトーンを保持するこれらが、両者に通底する恐怖の作法となっている。それは個人的でありながら普遍的である。作者の意図なるものが上意下達的に信じられる時代を拒むかのように、音もことばも不明瞭でディティールに欠く。だからこそ想像力を膨らませて、リスナー個人と結びつく余地が作られている。これはフォーク・ソングがその時代に生きている人々にとっての井戸水となるための条件であり、恐怖という感情も例外ではないようだ。 作法(さほう)があるなら、作法(さくほう)もある。こと音響面に関すれば、『Precher's Daunghter』からの『Perverts』という流れはそれを意識せざるを得ない。冒頭を飾る賛美歌「Nearer, My God, to Thee」のカバーは、私蔵のテープないしレコードから切り取ってきたかのような粗い音で、以降も無音を録音したかのようなアンビエンスが常態となる。ここが全編をカセットMTRで録音し、突然テープがこんがらがったようにおかしくなる『SAVED!』と並列できる所以だ。両者からはレコードディガー的な過去への片思いではなく、エジソンが蓄音機に抱いていた「本人が死んだ後でも遺しておける」という未来に対する(ちょっとオカルトめいた)保存精神を感じる。レコードはいつでも再生できる幽霊であり、今日のためのダイイングメッセージなのだ。 ハーディガーディが弾けるノイズを伴い、最終的にはそれそのものになる「Pulldrone」は、『Perverts』でもっとも恐ろしく、同時に心地よい曲だ。「公平を説くのは愚者の仕事だ」「わたしは天使だったけど落ちてきてしまった」エトセトラ。音楽が控えめなうちに順を追って告白されるCainのハードな世界観は、Current 93がトマス・リゴッティの詞を土台にしたニヒリズム宣言「I Have a Special Plan for This World」と同じ地平を共有している。それは広大な檻の中に産み落とされてはさまよう個人というグノーシス的認識であり、神とのキャッチボールこと信仰を無視はできても存在の否定まではできないことの裏返しである。冒頭に挿入される「Nearer, My God, to Thee」が、タイタニック号の沈没時に演奏されていたという象徴的エピソードとセットで語られてきたことも、救済の二律背反ともいうべき性格が身近に思えてしまう。そんな音楽をもって熱狂的な人気を誇るCainを見ていると、キリスト教義が機能しない(あるいは独善的に機能する)ことへのファンダメンタルな恐怖が、父権主義だけが加速した米国やロシア政府のトップが実在する時代において井戸水となっていることを実感する。 上でCurrent 93を例に挙げたのは、『Perverts』にも『SAVED!』にもこのバンドへと至る道筋が用意されているように思えるからだ。『SAVED!』に収録されている18世紀の賛美歌「Idumea」は、Current 93が2005年の『Black Ships Ate The Sky』でカバーしている。この曲は「我死すために生を受けんや」という句からはじまり、信仰と懐疑がつがいであることを受け入れている。 ウィリアム・モリスら19世紀の社会主義的芸術家たちの「建築は自然への冠」という言葉を思い出すかのように、60年代のフォーク・バンドたちは自然と文明の共存を音や絵で示した。アシュリー・ハッチングスらThe Albion Bandの『Prospect Before Us』(The Albion Dance Band名義)は、エレキギターを持った聖人像と畑の内にそびえる鉄塔があしらわれたジャケットだった。ここにはエレクトリック化を経たフォークの変遷、その土着的かつ集団的な記憶が保存されている。 (25. 6/30)
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