Stereolab / Instant Holograms on Metal Film (2025)

Stereolab新作『Instant Holograms on Metal Film』は、音楽によって全身の血が入れ替わるような体験をしたい人には不向きである・・・少なくとも過去にこのバンドで驚いたことのある人には、スタジオからの蔵出し音源またはダビングによってやや劣化した映像を見せられている気分だろう。ビックリしたいなら、2019年の再始動以降のライヴにあたってみるべきだ。「John Cage Bubblegum」や「Miss Modular」といった旧レパートリーは新しいアレンジをもって演奏され、2023年のツアーではNurse With Woundとの共作「Simple Headphone Mind」というマニアックな選曲(同年に出たオムニバスに収録されたからというのもある)もされている。過去に発表されてきたジョン・ピール・セッションは比較的音源に忠実な演奏だったので、このフレキシブルな変化こそ再結成後の音楽における特色ではないか。

 つまりは、Stereolabがこれまで実践してきた音楽的要素のほぼすべてが『Instant Holograms~』にある。それゆえ目新しさに欠け、退屈な場面にも多々出くわす。バンドのアイデアを包括するなら、オープンリール上でのバート・バカラックとジョン・ケージの出会い、ある時代の他分野同士を接続するアプロプリエーションであるが、参照が当たり前となった今日では、それは個々の要素を点として眺める理由に落ち着いてしまったのは否めない。Neu!風モータリック・ビート、シャンソン的バッキング、70年代前半までのテレビ番組やライブラリー音楽由来の電子音。これらはみな一様に水で薄められたように控えめだが、アルバム全体に浸透している。イントロトラックから続く「Aerial Troubles」の随所で聞こえるほろ苦い鍵盤は、ある種のサウンドロゴのように、このバンドがStereolabであることを思い出させてくれる。
こうした特定が容易なデジャヴはむず痒さの原因であると同時に、バンドの軌跡を遡るトリガーにもなっている。そこで生まれる問いは、何が変わっていて、何が変わっていないのか、ということだ。過去を現在においてプロジェクター的に使用する手法はまさにStereolabが取り組んでいたことであり、キャリアを積んだ現在では必然的にバンド自身がプロジェクターとなった。2025年に新譜を出す意義があるとすればここで、それは音楽よりも詩に傾く。バンドの中枢たるティム・ゲインとレティシア・サディエールが歌詞に込めた社会主義的ステートメントが今日では当たり前のように聞こえるからだ。かつて『TOP OF THE POPS』のような番組で「資本主義は終わるだろう」なんて歌っていた時、その内容は今日のように受け止められていただろうか。なんにせよ、今回の新作でも音楽がむき出しのメッセージを糖衣のようにコーティングして、SNS上の即物的な意思表示以上のものにしている。その糖衣の成分の多くを占めるのが過去のStereolab自身であり、ここに『Instant Holograms~』の独自性がある。

かつて米国のSuicideが退廃的な世界観をうっとりするような電子音で包んだように、Stereolabは68年パリを言い伝えるかのような歌詞をクールかつキッチュに装飾していた。そのガワに選ばれたのが、冒頭でも挙げた過去の音楽たちだった。93年に出したEPのタイトルにも引用している「スペース・エイジ・バチェラー・パッド・ミュージック」(主に50年代米国でハイファイ・オーディオ普及用に作られたインストゥルメンタル)、バカラックやトム・ジョーンズが活躍した60年代のアメリカンあるいはフレンチポップス、KPMレーベルのようなライブラリ音楽、そしてBBC内に設立されたRadiophonic Workshopによるスコアだった。とりわけ英国内で作られていた無銘の音楽ことRadiophonic Workshopは、公的機関ということもあり、サッチャー・レーガン以降じわじわと破壊されていった英国の風景に含まれていた。自分たちを取り巻いていた何かが大人になるころにはなくなっていたという感覚が、レアグルーヴ的価値観と相乗し、それがStereolabの反大量消費社会・反米国化のインスピレーションとなった。
Radiophonic Workshopが98年に閉鎖したことが象徴するように、ゲインやサディエールが執着した過去は、OasisやBlurをアイコンにしたクール・ブリタニア時代に振り返られることはなかった。トニー・ブレアが首相に当選した2か月後の1997年9月にリリースされた『Dots and Loops』は、忘れられた時代への憐れみと期待の残響である。『Instant Holograms~』はそれがより深刻となった結果、英国(ヨーロッパ)対米国という枠組みさえ取り払われている。正確には、リスナーがそうであるように聞いてしまうだろう。世界は60年代よりも明らかに繋がっている。

ピーター・シャピロは『WIRE』誌1996年7月号のStereolabインタビュー記事で、OasisやBlurといったブリット・ポップの時代を「ロックの霊安室」(post-rock mortuaries)と称し、フランシス・フクヤマの提唱したソヴィエト崩壊後の歴史の概念と結びつけた。のちにマーク・フィッシャーを中心にした憑在論のテキストにフクヤマが召喚されることを考えれば予言めいているが、これはStereolabら音楽的ユートピア主義者たちが共有していた事項だったのかもしれない。それが比較的普遍の感覚となるまでには時間がかかり、21世紀から加速するノスタルジアのポップ化がその土台を作り上げた。その目印たるヒプナゴギック・ポップやヴェイパーウェイヴを促進させる過去とは、Stereolabを悩ませ、ある意味では育てたともいえる米国的なそれである。大量消費社会のエコーともいえる米国的過去で埋められぬ傷があり、その代替えが別の方角にある過去、Stereolabが志向していた過去なのだとしたら、『Instant Holograms~』は今日作られる意義があり、今日にしか生まれ得ない作品なのだろう。過去のレコードの参照や特定の機材への執着(かつてはシングル曲の名前にもなったオンディオリーヌやファルフィサなど)という消費主義の裏返しもない本作は、「資本主義の終焉」という句をそのまま有する「French Disko」(1993年)が瑞々しさを取り戻すきっかけになるかもしれない。かつての活動期間に間に合わず、今回のアルバムではじめてバンドに触れたリスナーにこそ『Instant Holograms on Metal Film』(そして過去のリリース)は色鮮やかな像を見せてくれるのではないか。

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(25. 6/13)