Asyura 3rd / asyura3rd (2006)

『AOR』に収録されている「プレイアブル・ジュークボックス」の章を書く道程で、KONAMI社のブランド「BEMANI」関連のアーティストを多く振り返った。早い話が『beatmania』や『Dance Dance Revolution』をきっかけに人気を博した同社の音楽ゲームの総称で、今では参加している作曲者(主に社内のコンポーザー)を括る語にもなっている。執筆にあたり、ゲームのサウンドトラックや作曲者個人のアルバムなど周辺の音源をいくつか買い直した。これはその一枚である。5鍵『beatmania』後期や『pop'n music』シリーズによく曲を提供していたλ(ラムダ)こと日高明大と、ボーカルのcellによるAshyra 3rdのファーストアルバム。Ashyra 3rdは白黒法師として活動していた二人が新たに始めたプロジェクトで、2016年にもこの名義で新譜を発表していた。
今になって思えるのが、1分半ほどの再生時間(アーケードゲームなので開店を早くするためにプレー時間は短くなければならない)に展開が詰め込まれたアニメのオープニング/エンディング的構成が、一連の音楽ゲームの曲を特徴づけていたということ。よってゲームのコンポーザーが1アーティストとしてアルバムを出すと、大抵は再生時間などの制約が撤廃され、ゲームという枠組で表現できていた個性が失われがちになる。全曲オリジナルである本作はもとより音楽ゲームらしさから切り離されているが、自前のサンプルをループして歌とラップを入れるシンプルな構成が、ゲームに提供していた曲たちと地続きに聞こえた。λの歌(ラップ)もゲーム参加時のmurmur.kurotohといった名義を使用していないだけで、まったく同じである。当時から意外だったのが、四字熟語を連呼するリリックや押韻(ライムスター『リスペクト』みたいに、日本人であることをアイデンティティにした作品に多い)がゲーム参加時そのままであったことだった。具体例を挙げれば『pop'n』シリーズの「SUN/光線」とか「路男」で聞けるそれである。日本のメロコアとヒップホップ(ドラゴンアッシュみたいな?)を経由した歌い方は、BEMANIシリーズが結果として描いていたパラレルなJ-POP史を展開しているといえなくもない。世代のはずが門外漢な筆者には書けない領域の話なので、好きな人による解釈があれば読んでみたいものだが。

 「breath」のトラックはdj TAKAのトランスみたいだし、メロコア風「Asyura-Attack!!」は尺の短さがゲーム的である。いや、何もゲームに限らずとも、2000年代に視界の隅っこに入ってきた流行が限りなく薄められ、混ざり合ったといえばいいだろうか。我ながら懐かしいと言いたいだけなのか、なんにせよ今の流行への疎さが、このアルバムからノスタルジアを引き出している。だからこそ、この時代の音楽が今の若い人にどう受け入れられるか興味深くはある。
さんざんゲームを引き合いに出していたが、ゲームでの仕事との差異はなんといってもセルの歌であり、λの特徴であるゴシックロマンス=中二病的な詩も新鮮に聞こえる。「Sick Girl」はλがmurmur kurotoh名義で『ee'MALL』に提供した「ラスネール」(チョー名曲)を発展させたって感じの秀作。「ラスネール」は作曲者本人がユルグ・ブットゲライト『死の王』(1990)に出てくる一節にインスパイアされたと説明していたが、Asyura 3rdではこうしたヨーロッパ的デカダンスはほぼなかった。こっち路線の方が嬉しいのだが、ここ最近の動向(EDM的なフィルター酷使の曲を書いたり、なぜかなろう小説の原作を書いたりしている。後者はフランツ・カフカにちなんだものではあったが)を見るに望みは薄い。
それでも音楽ゲーム参加時代の同志であったDes-ROWへの客演は続けられているのだから、ゲーム経験者としてはそれで充分とも思ってしまう。かつて『pop'n』に提供した曲のいくつかには都市伝説をテーマにしたモノがあり、スピンオフとしてイメージアルバム『淀川ジョルカエフに関する考察』まで作られていた。これがまた結構怖くて、PS版『serial experiments lain』の音声ファイルを聞いているような瞬間がちらほらあったりする。Jホラーがリバイバルしてるらしい昨今、思い出されてもいい気はする。でも。やっぱり2000年代ポピュラー音楽の日陰に咲く花って感じの本作にこそ目と耳が向けられて欲しい。

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(25. 3/2)