セラニポージ / ワンルームサバイバル

10月にストリーミングサービス上で配信されるようになったセラニポージの2枚目。セラニポージとは作曲作詞のササキトモコと、時期によって異なるボーカル(現時点での最新作『メリーゴーラウンドジェイルハウス』ではササキ本人が歌っている)によるプロジェクト。各サービスやメディアでは「serani poji」で統一されているが、セガのビデオゲームソフト『ROOMMANIA #203』(2000)とその続編『ニュールーマニア ポロリ青春』(2003)内ではカタカナ表記であるからして、わたしとしてはそちらの方がなじみ深い(以下それぞれ『203』と『ポロリ青春』表記とする)。
 ワンルームに住む大学生ネジタイヘイの生活をのぞきつつ、介入して彼の人生の変化を見守る『203』本編に登場するアーティストが、ゲームの発売に先駆けて現実世界で音源を発表したのがセラニのはじまりだった。今日でいうヴァーチャルアイドル的なものにも見えるが、まさか『ときめきメモリアル』(1995)シリーズや伊達杏子的なものへの回答というわけではないか。そういえば『ゼノギアス』(1998)ではそのまま伊達をなぞったホログラムアイドルが出ていた。それはともかく、2000年代末から隆盛したボーカロイド圏内でセラニのカヴァーが出てきた時は、改めてセラニのコンセプトに先見性があったと感じた。後述する歌唱法が合成音声と相性がよかったこともそう思わせた。
 1999年に出た1枚目『manamoon』は、ササキの曲(90年代前半から東京ハイジとして発表していたものも含まれている)が、プロデュースの福富幸弘を介してクラブ・ミュージック的にリビルドされている。基本は歌謡で、「僕のマシュ…」はハウス、「宇宙船はどこへいった?」はキーボードのリズムのおかげでダブといった具合だった。
この時のボーカルはCecilのゆきちがYUKIとして抑揚なく歌う。匿名の存在であることを強調するための配慮で、GROOVISIONによるウォーホル的に抽象化されたアーティスト写真ともピッタリだ。なお、このキーヴィジュアルは『203』~『ポロリ青春』の両方でポスターとして登場する。一枚のスチルがアイコンなところはlo-fi hiphopのサムネイルの女の子っぽいかもしれない。
ボーカルが東野佑美に代わった本作『ワンルームサバイバル』も福富幸宏によるプロデュースである。インストハウス「ハッピーエンドがやってきた」や、2ステップ「胸にアイタ穴」など、引き続きクラブ・ミュージックが取り入れられている。『manamoon』の頃は小学生で、『ワンルームサバイバル』発表時は中学生のわたしにとって、クラブ・ミュージックはゲームから流れるものであったからして、空想の世界のBGMという印象が強い。匿名性の強いセラニポージはそれと相性がよかった。前後して触れていた『beatmania』シリーズがクラブ・ミュージックのジャンル名を音とともに提示していたため、セラニも自分が知らない世界の音楽を教えてくれていたことにも気付くのだが、これはまた別の話となる。

ストリーミングサービスだと音楽単体で触れることになるため、『ワンルームサバイバル』が『ポロリ青春』本編とリンクしていることは想像しづらいかもしれない。歌詞はゲームの各シナリオに基づいており、要約あるいはイメージソング的なものになっている。シナリオはどれも胸を少しだけ締めつけるロハスめいた瞬間があり、『MOTHER3』ないし『OMORI』が好きな人にも合うかもしれない。感情を抑えたセラニの歌い方は、こうした物語への過度な思い入れを止めるようでいて、その実たくさんのことを思い出させてくれる。ワンルームしか映されないゲームの仕様を逆手に取ったSF"1/永遠"と「さかな男の物語」、ネジ・孤児・喋るロボット犬それぞれの人恋しさを(やるせなく)描いた"サイレントハート"と「ぴぽぴぽ」などは、特に物語と音楽が互いの魅力を引き立たせる。今回を機に、音楽単体はもちろんのこと、ゲームのシナリオもどうにかして知られて(体験されて)ほしい。

ここからは憶測である。『203』のシナリオ「鏡の中にあるが如く」(なんでベルイマンのもじりなのか?)をササキトモコ本人の経験を反映した内容だと勝手に考えている身としては、「ワンルームサバイバル」の歌詞も自身の過去を再訪したものではないかと考える。ゲーム本編で流れるテレビやラジオのジングルも一から作られている『ROOMMANIA』シリーズの独特な世界観は、ササキ本人が「どこかで分岐点が狂ってしまった未来の世界となってます。なので、テレビ番組やCMなどがちょっとレトロです」と説明しており、その範疇には作り手自身も含まれているのではないか。

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(23.12/7)