Foetus / HIDE (2010)

2019年11月、ニューヨークはブルックリンにあるFoetusことJGサールウェルのSelf-Immorationスタジオを訪れ、インタビューを敢行した。話題はFoetusの歌詞となり、アニメ『サウスパーク』スタッフがドナルド・トランプを番組内でネタにしないことを発表した声明を例に挙げて、政治的トピックを表現に盛り込むことの難しさを尋ねてみた。それに対してサールウェルは「自分はあくまで個人的なことを歌っている」と前置きし、「詩に登場する問題は過去から現在まで地続きだ。"Oilfields"という曲はジョージ・ブッシュ政権が引き起こしたイラク戦争について歌ったものだが、政権が変わった今でもそれは続いている」と答えてくれた。インタビューから2か月経たないうちに米国政府がバグダッドを空爆したことを考えると、この発言は預言めいて聞こえるが、氏の言う通りで問題はただニュースで取り沙汰されていないだけであることは今日でも証明されたばかりである。

"Oilfields"が収録されている『HIDE』は、現時点では最新のFoetus名義のアルバムである。21世紀に入ってからのサールウェルは、Foetusの音楽をロックバンドを通して表現せず、オーケストラ化へ舵を切った。これは90年代から始めていたビッグバンド+インストゥルメンタルであるSteroid Maximusや、音楽性の固定を避ける実験たるManorexia、そしてアニメ『Venture Bros』スコアなどの劇伴仕事が有機的に絡み合った結果である。高密度で高速だった従来のFoetusに比べて、オーケストラ化してからは使用される楽器の種類が厳選された。曲の構造はダイナミクスで展開にメリハリをつけるストラヴィンスキー的アレンジが顕著となり、ビートはロックではなくマーチのそれに近付いた。
ダイナミクスに関しては突然思いつかれた案ではなく、84年の代表作『HOLE』時代からすでに実践されていたものである。雑多なアイデアを放り込んできた『HOLE』からの10数年との違いは、目的(作曲)に必要な音を自分の内から見つけ出す能力が発揮されていることだ。尺からジャンルまで要望された音楽を書かねばならない劇伴の仕事によって、ゴールへ最短距離を見つけられるようになった、いわば寄り道をしないストイシズムだ。
 "Paper Slipper"は語りのような前半と、ビートとヴァイオリンが入ってくる後半で区分けられたルー・リード的オペラの発展型。続く"Stood Up"は4つ打ちの慌ただしい行進曲だが、かつての苛烈な情報量を持たず、むしろ禁欲的だ。インタビューではSteroid Maximusなどのインストゥルメンタルを始めたことについて「どれだけアレンジに凝ってもリスナーは物騒なことを歌っているボーカルにばかり興味がいくのが不満だった」と話してくれたが、『HIDE』では歌がかつての楽器群の不在を補って余りある。キャリア初期のテープ工作"Sick Minutes"を思わせる"Concrete"や"Fortitudine Vincemus"がインタールード的なポジションであることも含め、ようやく理想的な形でFoetusの主要素が歌であることが伝えられるようになったのだった。

80年代の過密で高速、物騒だがどこかコミカルなインダストリアル・ロックというイメージが引きずられているFoetusの音楽だが、『HIDE』の時点で静かで重たく、どうしようないほどに暗い世界観を提示している。たとえば"Oilfields"は蛮勇が世界を燃やす引き金になることを予感しながら働き、眠る男の一幕を映す。"Here Comes The Rain"はそのまま核戦争後の昼下がりを想像した、人類を単位にしたマーダーバラッドだ。この性格は個人的な恋愛トラブルを独ソ不可侵条約に置き換えた"I'll Meet You In Poland Baby"(『HOLE』収録)や、さらにいえばファースト・アルバム『DEAF』(1982)の時から片鱗を見せていた。しかし、過去の曲をコーティングしていた暗いけれど滑稽なユーモアは、今日では溶けてしまってその役割を果たさない。中身である不安・疑念・強迫観念的な恐怖を直感してしまうのは、筆者が変わったのか、時代が変わったのか、過去はいくつものの現在進行形の問題と交差して、サールウェル本人をも悩ませては創作の源として蘇る。

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(23.11/14)