Andrew Wasyliyk / Hearing The Water Before Seeing The Falls (2022)

昨年購入したはいいが、ずっと積んだままであったアンドリュー・ワシュリクの最新作。遠海や孤島を撮影し続ける写真家トーマス・ジョシュア・クーパーの展示『The World's Edge』のために書かれた本作は、実際にワシュリクがクーパーとともに大西洋に浮かぶ孤島へ出向いて、現地から録音した音を素材にしている。世界的な海抜の上昇により35年以内に水没すると言われている島々の記憶を、クーパーは写真として保管し、かたやワシュリクは音楽として記録した。
 スコットランド出身のワシュリク、本名アンドリュー・ミッチェルの音楽は根幹に「過去」がある。それも自分が生まれるより前のはずが、なぜかデジャヴを誘発する普遍的な場所に対する記憶としてのそれである。2017年の『Themes For Buildings And Spaces』という明らかな例があるように、ワシュリクの音楽はユナイテッド・キングダムとして連合する前の、グレートブリテン島の光景が幽霊的に残響する郊外の記憶に基づくもの、パストラル(牧歌的・農耕的)な憑在論とでもいうべき小さな精神運動の系譜にある。
クーパーの写真芸術も、合理化の果てに去勢されていく欧州の風景を遺す試みである点でパストラル憑在論に連なるだろう。

控え目にいって『Hearing the Water before Seeing the Falls』はワシュリク史上最高の出来である。1曲目「Dreamt In the Current of Leafless Winter」の時点で、そう思えてしまう。この曲の白眉はなんといってもアラバスター・デプルームの微弱に震え続けるテナーサックスで、トラントペットやトロンボーンが主であった『Themes For Buildings And Spaces』にはなかった色彩を与えている。それは同曲上での繰り返されるピアノとともに波打つ演奏として表れており、この時点でアルバムはクライマックスを迎えている。その後の曲は長い余韻のようなものであって、オマケという意味ではない。去っていく波が判別できなくなるまで見つめ続けているような、忘我のひと時をもたらしてくれる。


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(23.1/19)