Avenue With Trees - A Second Language cornucopia + Secondaries (2020)

まずは2020年にもっとも再生した一枚を。『FEECO』2号でも特集したフランシス・キャッスルが尊敬すると同時に手本にもしているレーベル、Second Languageのコンピレーションである。パッケージ一つとってみても気合が入っており、使用している図版からもベルギーのLes Disques du Crépusculeが80年に出した名企画『ブリュッセルより愛をこめて』への敬意が見てとれる。
本作は無数のアーティストをリリースしているSLのサンプラーであると同時に、レーベルの理念を改めて宣言した機会と呼んでも差し支えない。それを一語で表すならば「インディペンデント」=自分で作って(あるいはアーティストに声をかけて)、自分で広めることである。70年代末に登場したFactoryなどの新興ポストパンク・レーベルは、こうしたDIY精神に基づくレコード・レーベルが、旧態依然とした音楽業界、ひいてはカルチャーを取り巻く環境への反抗であることを浸透させた。それは60年代的ラディカリズムに審美的なこだわりをブレンドすることで生まれた唯我独尊の芸術、多数派に背を向ける個人主義の爆発であり、無数のそれが連鎖した結果としてポストパンクは繫栄した。SLの黙々と、しかし常に止まることなく音楽を放ち続ける孤高の姿勢には、Factoryや、彼らと精神的な意味でも提携していたCrépusculeの面影がある。
レーベルの設立は2009年と若いが、80年代育ちのオーナー、グレン・ジョンソン(Piano Magicなどの活動で知られる)にとって、SLを始めることは当時(の音楽を取り巻く環境)へのカウンターだったと想像する。かつての所属先であった4ADが、すでに「インディ」という一ジャンルの拠点になっていたことなど、それまでに業界で経験してきたことの総括が、インデペンデント・レーベルの設立だったのだ。本作に添えられた「かつてのコンピレーションはお蔵入りの曲を投げ込むバスケットではなかった」という文言にも、その精神が見てとれる。グレン含めた夢想家たちには『ブリュッセルより愛をこめて』やTouch初のリリース『Feature Mist』のような存在が、懐古的な意味でなく、革新において必要であった。

 
 ジャケットを一目見た時にThe Durutti Columnの『ささげもの』を連想した。そしてグレンがプロデュースしたフランク・アルバによる1曲目を聴いてみれば・・・。『ささげもの』は日本企画なのでFactoryやCrépusculeによるデザインではない。だからこそ、この采配と偶然に驚く。この音がSL(グレン)にとってのポストパンクないしインディ、その気高さの象徴なんだろう。デヴィット・ジョン・シェパードの「調律された騒音」を名乗るインストゥルメンタルは優美すぎて、武骨で表面的な強さを誇示するようなギターやドラミングはいらないと断言するかのよう。The Loftのピート・アスターが歌う「Record Rewind」は、もちろん商業的な意味でのレコード復権を歓迎しない。Piano Magicの中核メンバーでもあるポール・トーンボームの別名義Alter Laterやユミ・マシキのチェンバー・ミュージックは、ヴィニ・ライリーのギターやロバート・ヘイのピアノがそうであるように、強さから離れるための弱さを追求している。他者を例に出しはしたが、その音楽が表面的な意味で先人(過去)を想起させる、もしくはまったく似通っていないなんて些細なことだ。作り手たちが「それ」に取り組んでいる、その最中こそが結果であり、音楽はその痕跡のようなものなのだから。
『Avenue With Trees』から溢れる80年代英国~ヨーロッパへの郷愁は、逃避的なノスタルジーとイコールではない。サッチャーの時代に花開いたFactoryやCrépusculeがそうだったように、これはBrexitやCOVID-19が浮き彫りにした現在への抵抗だ。「こんな時に音楽(アート)で何ができるのか」という純粋すぎる、それゆえに昨今は言及しないことで解決されがちな命題、その回答としてのDIY。離れた国の異なる、しかし重なる部分がないわけじゃない境遇で生きてる自分にも伝わる自律の精神。そこにノスタルジアを感じられたことがただ嬉しい。早川義夫が本で書いていたように、つい昨日生まれたばかりのものを見聞きした時にだって感じる懐かしさこそ、無意識で求めていた・会いたかったものなのだ。閉塞感がのしかかる時代に、自分の中に何が残ってるかを改めて教えてくれた一枚だった。



戻ライザー

(21.3/2)