先日、自主制作の協賛をしていただいたおかげで経済的に助かったのはもちろん、きちんと自分の活動を提示しておくことが大事だと改めて思った。特にSNSでは断片的な情報からフォローしている人も多く、プロフィール欄やいくつかのツイートだけで自分を知ってもらうのは難しい。告知は自分に合ったやり方がわからないので四苦八苦しているのだが、とりあえず8ページほどの自己紹介文をしたためた小冊子を作ることにした。せめて情報を多く持ってもらえばいいのと、少しばかり見る側にも手順を踏んでいただくことで、八方美人めいた態度をとらなくて済むと思ったことからの判断である。冊子には経歴と呼ぶにはスカスカな、しかし版を作って印刷して人にバラまきだしてから14年は経っている我が軌跡を残そうと思う。事実を見れば、何をしていたかくらいは伝わるはずだ。というわけで色々思い出している。バツが悪い事実だったり、、自分でも記憶があやふやな部分も多いので、そうたくさんは書けないが。 2009年くらいのころ。フリーペーパー(今ほどメディアがジンといった語を使っていなかった)を作って持ち寄るイベントにいくつか出ていた私は、身近にいる同年代の人間とアンソロジー的なものを作ろうと提案した。複数の箇所の、複数の人間にそれぞれ提案していたのだが、いずれも完成してイベントに持ち寄るといったことにはならなかった。そのせいでどこからどこまでが誰誰とやっていたか、とまでは思い出せない。 Kはマンガが描きたいという。それも、当時『あたらしい朝』で復活したばかりだった黒田硫黄のような(無茶言うな)。なぜか私が手伝った。文字も手描きにしたいが悪筆なので誰か字の上手いやつをしらんか?と問われれば、私の親戚で絵の上手い人間を連れてきて、書かせた。Kが友人を連れてきて、変な油絵を描く時も何かを手伝った気がするし、ギターで何かしようという案にも付き合った記憶がある。いずれもなんにも結実しなかった。一方Sはエッセイのようなものを書くとはいったが、何も書かなかった、はずである。 KとSとの付き合いは2010年の夏ごろには絶えていた。二人にそれぞれ対面で会ったこともない。なんせ普段はどこで何をしているか、さほど教えてくれなかったのだから。その後、私は別の輪の中で適当に時を過ごした。ずさんながらも経験を積んだこと自体は悪くない。だが、KとSとの付き合いを続けていたら今頃どうなっていたかと思うことはある。とはいえ、想像が及ばないのですぐに忘れる。
(23.4/19) |
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