水はけの悪い求人雑誌

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老母というか親族全体をまきこんだイザコザで身動きがとりにくい。コロナ禍で自営を廃業して以来、いよいよ大き目の決断はしたはいいが、それに対応しきれていないといった感じ。自分対母といった構造なら対処もしやすいのだが、複数の人間が絡んでいるだけに面倒さだけが積み重なり、とにかく気乗りしない。
母とは毎日連絡をとっているのだがこれでは離れて暮らしている意味もほぼなく、実際にまた一緒に住む話まで持ちかけられている。こちらはまだ引っ越して3か月しか経ってないので当然却下した。

すべては経済的事情に帰結する。ネットで聞きかじったのかお節介な身内に吹き込まれたのか、母は行政に頼ることにかなり消極的で、かといって自助を進めているわけでもない。70歳を超えた身で求人雑誌やサイトを使い出したが、サイトに登録しただけで一歩進んだと錯覚する以上のものにはならない。自暴自棄になっているだけだ。「この仕事一緒に行かないか?」なんてメールしてくる時点で見込みがない。いっしょに行けるのはせいぜい年末の年賀はがきの仕分けくらいだ。
 食事だけでも一緒にしようとせがまれるので家まで行ってみたら、机の上にタウン〇ークが置いてあった。あのカンにさわる豚のマスコットキャラを見たくないので、裏返しにしてやった。中身を開いたら接客業と介護職ばかり。ずっと個人事業主で務めてきておいて、今更他人が支配する土地へ出稼ぎに行けると思っているあたりがおめでたい。皮算用に長けて見通しが甘い自分自身を見ているようで不快だった。10年くらい前からずっとそうだし、この先自分が母の年齢になっても同じことをしている予感が何となくした。生きていればの話だが。
現在の住まいにも関わってくる問題なので、同居している居候から別居している父親、そして私の兄弟含めた全員の事情と調整しなければならない。あちこちが破損して漏れしている水道管のようであり、どこから手を付けていいやらわからない。普通なら身内に一人は経済的に安定しつつ協力的な人間が一人はいるものだが、私含めて欠陥品しかいない一族なので事はそう単純ではない。救いは自分の代で血が途絶えることくらいか。

母親のやる気がない原因は、ずばり現状に絶望することだけが生活におけるリアルだからである。苦難や後悔しか現実を担保してくれるものがない。状況を変えるということに実感が抱けない。なぜなら、上手くいってしまったら、それまで挑戦せずに過ごしてきた時間は何だったのか、という話になる。今が一番若いとか、止まない雨はないという物言いはある程度の年齢にまでしか通用しない。どんな変化にせよ、得るものより後悔の方が大きくなっていく。私なんかは30半ばにしてその芽が出ている。
究極的に苦難を共有することは不可能だが、私も自分なりの、自分だけの苦労を持っているし、常に新しいそれらが眼前にあるため想像はたやすい。だが、人生の残り時間の短さに対する恐怖にまで及ばない。生まれた瞬間に死ぬような人もいるのだから、寿命なんてものに平均はないのだという理屈で抑え込むには母は歳を重ねすぎたようだ。たとえどれだけ浅はかで幼稚な起因だとしても恐怖は恐怖であり、ストレスはストレスである。金がないというのなら、万の小言を重ねるより一の現物を叩きつける以外の術はない。そして、それは簡単なことではない。助けては本人のためにならないなんていうのは詭弁であり、助ける余裕がないか最初からその気がないかの二つだ。私は両方を他者にしてきたし、されてきたともいえる。みな、意識するしない問わずこうした決断をしながら生きている。
 水木しげるがグリム童話を漫画化したものの中で、「苦労」と書かれた玉を抱えている老人と出会う場面がある。「なんでそんなものを大切そうに抱えてるんですか」→「これ(苦労)しか残らなかったんです」。私としてはもっと歳を重ねないと理解できない境地だが、どうしてもこれを思い出してしまうのだった。言えるだけまだマシだ。

ふるまってもらった食事(鶏肉団子の煮つけ)をむさぼりながら、あのマヌケな豚が目印の求人雑誌をもう一度眺めた(マナー悪くてスマン)。汁がはねてページの隅についたら、下へと垂れずそのまましずくとして張り付いた。未経験歓迎の携帯電話販売スタッフの欄だった。縦に引き裂いてやりたくなったが、無駄に分厚い紙とページ数なのでやめておいた。バイ〇ルやInde〇dってどうですか?使わねえけど。


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