アニメ『MASTERキートン』を視聴した

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U-NEXTに浦沢直樹の『MASTERキートン』があったので、飛び石で視聴している。マンガはずっと昔に読んだきりで、アニメはまともに見るのははじめてだったはずが、あのオープニングはテレビ越しに見た覚えがある。深夜放送だった当時、目にすることはなかったと思うのだが。また「穏やかな死」というエピソードは、そのタイトルだけをずっと覚えていた。記憶では残酷なシーンがあるものだったが、実際に見たところ特に見当たらず(むしろのどかな方。出血シーンはあるけど)。同時期の『ベルセルク』あたりと混同しているのではないか。

さておき、視聴に至った理由は最近の調べ事ことブリテン諸島のフォークホラー、ひいてはそれを経由した憑在論である。ストーンヘンジからケルト時代の遺跡など、ヨーロッパの古代史~近代史が題材ゆえ、付け焼刃レベルのコンテキストとはいえ本作が以前と違った見え方をするので楽しめている。いや、様変わりした時代とはいえベルリンやダブリンを実際に訪れたからだろうか。
基本は1話完結で、原作マンガベースの脚本はアニメの尺に合わせて圧縮してあるので展開が急すぎてビックリすることもある。だが、ディテールにこだわりすぎた作品(動機の説明に2~3エピソードを平気で使うとか)に慣れたからそう感じるのだろう。映像面もセル画時代の作画もあいまって、途方もなく牧歌的に見える。背景として登場する自然と蓜島邦明のケルト主体の音楽が、ドラマの一部として機能している。それは単体で眺めたり鑑賞してうっとりするようなものではなく、人間が動いていることで一枚の絵になる分担がなされている。絵だけでも音だけでも片方だけでは物足りない、劇伴はこうでなくてはならない、と考える人間にとっては嬉しい。

この後『MONSTER』や『20世紀少年』といった作品でも描かれるテーマが『キートン』にもしっかり骨子として用意されている。それは時代の変わり目であり、現実に取り残されたりあるいは必死に順応しようとしている人間たちを通して描かれている。変わり目とは、いってしまえば東西時代の終焉で、『MONSTER』の背景の一つもこれだった。東ドイツから妻と子供を置いて壁を越えてきた男が出る「心の壁」は、西側文化の象徴であるクラブが背景として出てくるところも相まって、過去に囚われる男の心象にぴったりであった。エピソードごとに異なる立場の登場人物たちが出て、観測者としてのキートン太一がいることでより俯瞰される。ブリテン諸島(コーンウォール)と日本にルーツを持つキートンが異邦人として、いろいろな国のいろいろな過去に現在から入り込んでいくともいえる。

どんな作品であれ、その背後に人間を探すのが人間の習性と思うのだが、『キートン』や『MONSTER』ではその習性がキャラクターたちづたいに描かれている。考古学・人類学的な過去への疑問を人間に集約させるというか・・・ギリシャ的というよりはローマ的な哲学か?ゆえにエンタメ化っていえばいいのだろうか。
考古学者のくせにSAS入隊経験があり爆弾の解体までできて、シンパシーもエンパシーも備えてるキートン太一がなぜ離婚するのかって感じだが、各エピソードに出てくるキャラクターたち同様に昔を引きずっている人間としての色付け、なんだろう。後ろめたさがあるからこそ他人のそれを分かち合うことができるのである。

冒頭に名を出した「穏やかな死」はその名前しか覚えていなかったのだが、IRAの爆破テロを題材にしたプロットだったので、アイルランド史に関心を抱いている身からすると嬉しい初対面、いや再会であった。時限爆弾設計のプロである祖父を持つコナリー青年は、祖父のように精巧な爆弾を作り上げるが、天寿を全うした老人の顔を見てイデオロギーに殉じる人生に踵を返す。設置された爆弾を解体するべくキートンを頼り、爆弾が設置されたデパートにいる誰にも知られることなく爆弾を解除する、という筋書き。下手にIRAの一員たちをドラマに登場させない分イデオロギーの話に脱線することがない、小品として優れた話だった。深夜にチャンネルを回したところにこういう話が流れてきたら良し悪しとは別に忘れがたい経験になっていただろうな。先祖よりも古い時代に興味を抱くという能動的なノスタルジーを燃料にした作品が、今日いろいろな方面(20世紀の技術で作られていること、東西時代の名残を描いていること、など)からの別のノスタルジーに色付けされている。淡いのだけど過去の模様でびっしりと埋め尽くされている、さながら昔の風景を捉えたフォトブックを眺めているような感慨があった。


戻りォ

(25.12/8)