外食録+世相

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久々に繁華街で対面の食事をとった。コロナ禍以降でも外食はしているが、ほとんどが一人でそそくさと済ますものであり、夕食どきに繁華街へ他人と行くのは初めてとなる。10月から飲食店の営業規制が緩和され、夜でも出歩いている人の数が増えた。食事の2週間ほど前には昼間に大阪へ行く用事があったのだが、そこでも同じような光景がみられた。
仕事場を借りて一年近く経ち、働きに出る以外はほぼ家から出ない。判断を下すにはこころもとない頻度ではあるが、平日の昼間など人の少ない時間帯に古本屋や喫茶店に行くと、道中で他県から来たとおぼしき人をよく見かける。特に10月の緩和以降はかなり増えている。京都なので観光目的ということもあるのだろうが・・・。コロナ禍によって仕事から日常生活までスケジュールが狂わなかった人はそういないはずである。学校も会社も、自分のようなその日暮らしの想像が及ぶような時間の進み方をしていないのだろう。先に書いた食事の相手も最近はもっぱらリモートワークだという。それだけに、日常が半端に戻っているような光景を目にすると混乱する。大きなものではないが、積み重なって、自分の抱く閉塞感をうっすらと否定されていくような気さえする。
9月からは確かに全国的な感染者数が減り、イベントも日程通り開かれている。京都は妙に人が多いので、私なぞは9月以降でも警戒して遠出を避けている。そのために不義理が重なり心苦しいのだが、時勢が時勢だけに仕方ない。むしろ下降傾向にある現状にこそ行政がしかるべき・・・とか当たり前のことを考えてたら、これを書いている時分にはまた感染者が全国的に増えてきそうなニュースが入ってきている。なお、優等生とされていたアイルランドはじめとするヨーロッパのいくつかの国は過去最大級のペースで感染が再び広がっているとのことだ。一応自分の家ことホメパゲにも、日記のように「現在」を残しておきたく、ここに書いた。

日常が半端に戻っていると上で書いたが、私の周りではハッキリ言って悪い方向に作用していると感じる。コロナ禍が始まってしばらくは、それまでの日常が非日常となり、当面は縁のないものとされてきた。しかし、お店の営業やスポーツ行事が当たり前のように行なわれだすと、揺り戻しとしてコロナ禍の生活と従来のそれが交差し、虫食いになった日常が出てくる。マスク装着がおろそかになっている人と、それを指摘する光景が増えたのはなんとなくそんな現実を反映している気がするのだ。ロックダウンが世間のトピックになっている時にはノーマスクを掲げる団体の集いなども散見できた。ある意味発作的な反応というか、こうした動きが出てくるのは自然な成り行きともいえる。今はそんな瞬発的な反応ではなく、ゆっくりと拒否の意識が流れてきているようで薄気味悪い。
マスクに慣れていない海外諸国ではノーマスク運動も根強く展開しており、マスクの着用を指摘することが人権の束縛だとして暴力沙汰になる事件もあった。ドイツでは射殺事件さえ起きている。この射殺犯の男性はマスク着用の指摘をハラスメントの一種と受け取ったのだろう。感染防止を口実に他人を操ろうというのか、といったところか。今のご時世ではマスクは服を着るのと同じ、エチケットの類と考えれば気に障るようなことでもないと思うのだが、マスクが浸透している日本で育った人間の理屈など、怒りや苛立ちという本能的な理由の前には無力だろう。
反マスク・反ワクチン(これに関しては接種そのものと、接種の強制を別のイシューとして考えねばならないと思う)は世界的に少数派であり続けるかもしれないが、それが同主義(?)の存在を担保するようになると思う。多数派がともすれば偉そうに間違いを指摘してくるその「態度」が気に食わないのであって、マスクやワクチンそのものに忌避感があるわけではない、と十把一絡げにするには弱い理由だが、まったく含まれていないわけでもないだろう。人は誰しも本能のレベルで確認作業(気に食わないか否か)に励んでいる。
いわゆるポリティカル・コレクトネスへの反発もこれに近い原理が働いていると私は思う。当事ではなくそれを取り巻く言説、そこに入ってくる外の存在の態度を拒絶することが、気にくわない多数派(と思い込んでいる相手)への抵抗になる。他人を見ていて恥ずかしくなってしまう「共感性羞恥」みたいな感覚に馴染みのある日本社会は、必然的に少数派を定義することに躍起になる。村八分って言葉もあるくらいだから。twitterと相性の良い感覚であり、不幸な組み合わせであると思う。
私も例にもれず典型的日本しぐさが染みこんでいる人間なので、こうした当事と言説の関係性には敏感になってしまう。逆に言えば、それを汲み取る思慮深さがあれば大抵の意見には賛同こそしないまでも、頭ごなしに否定することはないだろうと思ってはいるのだが。だろう、だろうと続いているのは、私がそんな出来た人間ではないからである・・・。


金策に苦労してます

(21.12/1)