『リモノフ』エドワルド・リモノフについて

装丁も良し

先月から読んでいたエドワルド・リモノフの評伝『リモノフ』をこの度読了した。
年をまたいで読んだ一冊で、量と内容の重さの割に早く読めたと思う。この本が引き寄せたのかはわからないが、身内間で起こしてしまった口論中で「テメエは偽善者、共産主義者だ」と一方的に吐き捨てられた。その剣幕と声の大きさに不快感を抱くも、その形容自体に心を動かされることは、正直なかった。適当なカテゴライズに満足する人間に毛嫌いされるなら本望だ・・・とすら思ったかもしれない。この本はその勇気を歌づけてくれるような気がする。今年の自分は何かが違う...。

エドワルド・リモノフはロシアの作家にして活動家である。更に詩人、大富豪の執事、傭兵、そして神秘主義者としてのキャリアも横断しているため、一概にこんな人物だと説明するのは難しい。ソ連時代に国外へ亡命し、ニューヨークとパリに滞在した後、崩壊前のソ連に恩赦で帰国。その後に国家ボリシェヴィキ党を設立し、指導者になる。『リモノフ』はその軌跡を本人や当時の関係者らへの取材を基に辿っていく。
著者自身がリモノフに強く惹かれている一読者・一信者に近い人物であるため、あちこちで個人の話が挟まってくる。これはリモノフだけではなく、著者自身のクロニクルでもあるのだ。それ故に読み辛いと感じることも多かった。自分とリモノフのような存在を比較して卑屈になるくだりは、共感こそできるが不要だったのではないかと...。
だが、リモノフがこのように個人を暴走させるような魅力を有しているのは理解できる。自分もこの本の前に読んでいたゲンズブールの評伝と重なるところが多々あったため、リモノフの哲学と思考回路に引っかかることは少なかった(自分が同様の生き方を選べるかは別)。一応ゲンズブールの名も本書では一度だけ登場する。それは嘲笑の対象であり、リモノフの冷徹さを示すエピソードの題材程度なのだが、彼以外にもチャールズ・マンソンや三島といった人物が頻出するのも近年の自分の嗜好や調べものと合流している。ニューヨーク滞在時代はウォーホルやルー・リードの名前も出てくるが、まったく関わらないリモノフと彼らが同時に存在していた彼の地など、時代を思い浮かべるのも面白かった。何せ、リモノフはソ連出身、東側の視点でニューヨークに触れている伝記を、自分はこれまでめったに見たことがなかったからだ。

KGBの母体となるNKVDで働く父親をもったリモノフ(これはペンネームで本名のサヴィエンコと書く方が正しいのだが)は、幼い頃から貧しく、母親からは人を信じるなと教育されてきた。母親は乳飲み子だったリモノフと共にドイツの爆撃から身を隠している最中に、泣き声に腹を立てた男によって追い出されたことをきっかけに、人を信じなくなった。母親はそれ以来、リモノフに力の必要性を説き、「やられた方が悪い」とケンカに負けた彼を叱咤するようになる。リモノフもまた留置所通いの友人たちとつるむ中、ギャングの王と下っ端という力関係に現実を見出し、常にナイフを持ち歩くようになった。如何にNKVDといえど、罪人を追放する車両に連行する仕事に落ち着いていた父親をも腰抜けと判断するようになったリモノフの尊敬の対象は、現地で闘う兵士とスターリンになっていた。ズボン職人として日々の暮らしを保っていたリモノフは、やがて地下出版を扱う店で働くようになり、そこに通う人々と同じように詩を書いた。面白いのは、彼のモチベーションが詩の出来よりも、書いた人間が気に入るか気に入らないかであることだ。リモノフは、本に出てくる多くの人物をジャッジする。それも、部分ごとにである。こいつに才能はない。でも性格は良い。困っていれば悩みを聞くし、アドバイスもする。しかし、おべっかは一切ない。現実を突きつけ、それに対する苦しみも共有する。全てを返しては受け入れてくれる人物なのだ。その正直さゆえにリモノフはウクライナやモスクワの詩人ネットワークとも反りが合わなくなった。愛人と共に亡命し、国籍はく奪の末にニューヨークに転がり込むわけである。そこでも彼は西側で成功した同胞たちに悪態をつきつつ、浮浪者への手当をもらうことでなんとか底の生活を続けられた。彼女の浮気とSM癖を突きつけられては、絶望をダシにマスターベーションをする。あらゆる出来事を自分と同化させ、世界の中心となる。

身から出た錆に溺れては酔う彼の転機は、半自伝『彼の執事の物語』でも描かれる大富豪の執事時代だった。気前が良く、気持ちの良い、それでいて今すぐ殴りつけてやりたくなる大富豪とその友人に著作を評価されたリモノフは、あちこちの出版社に送るようになる。あまりに反道徳で、ソ連では出せないような過激すぎる『それは俺、エーディチカ』だが、ソ連崩壊後に西側の書籍が流れ込んでくる歴史を踏まえれば、彼は正しかったと言える。

生活に困ってはいたが、作家としてのキャリアを持ったリモノフは恩赦によってソ連の地を再度踏むことが出来た。本はここから故郷を捨てた人間が再び戻ってきた時の話になるのだが、比較的最近の話であるソ連崩壊もあってか、物事がイメージしやすくなる。少しずつプーチンの名前も出るようになるのもその一因かな。
旧型の愛国者と共通する観念を持つリモノフは、当然ゴルバチョフを批判。困窮する同胞たちに対しては、なんと憐みすら感じるようになり、彼らのためになることをしたいとすら考えることになる。これは自分が飢えた経験があるからではなく、今まで出会ってきた凡人、物語のエキストラに過ぎない人生を歩んでいく人々への同情という、極めて独善的な思考からくる決断だった。裏表のないリモノフは辛辣で他人に格付けを平気で行なう。しかし、そこに嘘はなく、その真実から彼自身のロジックを作り出し、実行に移すのだった。

本の終盤にも書かれていることだが、この有言実行はプーチンと強く共通しているという指摘は興味深かった。プーチンはリモノフと違って、権力者になったことが両者の違いであるとも書かれている。二人ともソ連崩壊を20世紀最大の災害としており、プーチンの名言「テロリストは便所まで追いかけてでも殺す」は、ただの過激派のパフォーマンスではないことがわかった。リモノフはプーチンの過激すぎるやり方、あくまで疑惑に留まっているがリトビネンコの毒殺といった結果を批判している。
しかし、仮にリモノフがプーチンのポストにあったなら。終盤で突然始まる比較を見ても明らかだが、この本の第3の主人公はプーチンだ(第2は著者)。この本が書かれたキッカケは、ロシアの女性ジャーナリストであるアンナ・ポリトコフスカヤが不審な死を遂げたからであったが、著者のいとこも謎の死を遂げるなど、ロシア現政権への疑念がもともとあったことは見逃せない。そして、それはロシアでは命の危険を呼ぶものなのだ。彼の地ではそれが空気のように浸透し、日常が営まれている。北朝鮮とはまた異なる出自と歴史を持つ。本の冒頭に添えられた、プーチンの共産主義への認識は、日本の視点からでは中々理解しにくいかもしれない。実は社会主義も真っ青な世界であると思わないでもない日本だが、ロシアに対してピントが合わせにくいのは東西の世界観やそれらに共通するものが土壌に含まれていない、単純に言えば歴史が浅いせいかもしれない。そして、これはロシアに限った話ではなく...。
全てをなし崩しにしてきた日本に対して、ロシアは凄まじいスピードで因果が進んだ。一部の大企業が国に融資し、天然ガスを抑えるなど、資本主義のリスクをあっという間に体現した。リモノフの母親のように未だにゴルバチョフを批判しながら、スターリン時代を懐かしみながら、貧しさを享受する人々もまだまだ多いという。かたや著者の母親はロシアの資本主義転換に前向きだった。「一世代待ってみなさい」は確かに正論だが、納得されていないことはリモノフを見るまでもないようだ。

国家ボリシェヴィキ党はあまりにアナクロであるがゆえに危険人物扱いされるリモノフは、やがてアルタイ共和国の山で瞑想をはじめるなど、ヨーガ的思想にも影響されるようになっていく。ここでも三島などの神秘主義者たちが登場し、ヒッピーやニューエイジと東出身の人間が出会うという構図が描かれる。ファシズムと共産主義を並列させ、チャールズ・マンソンといった人物たちも網羅しては、そこから生み出される強さとプーチンの違いを考えた。マリファナの一つもやろうものだが、ニューヨーク以外では吸うことはなかったという。代わりにヴォートカ(ウォッカ)と筋トレ、そして読書が彼のメディテーションを支えた。ボイド・ライスはリモノフのことを知っているのだろうか?

終盤、規律で囚人たちを支配し無力化させる収容所で生活をすることになったリモノフだが、これまで訪れた土地のどこでも見れなかった現実を見た。かつては力関係、ギャングと下っ端、スターリンと同志たちに真実を見出したが、残虐な殺人を犯した囚人たちの無垢で暖かいやりとりから、ここを自分の居場所と定めた。読んでいて、最も印象深かったエピソードは、作家として評価されたことから減刑され、すぐに出所できるようになったリモノフを、殺人を犯した少年が励ますとくだりだ。リモノフは自分と彼に違いなどないと考えるも、現実は違った。ロシアが誇る作家と、収容所で青春を迎えることなく日々を過ごす少年。彼が常に意識していたヒエラルキーとなんら変わらない構図だが、リモノフは心を痛めるのだった。

ユーゴ紛争にも関わった彼は、外野に徹するジャーナリストたちを批判しながらクロアチア側に味方し、実際に重火器を手にした。貧困と戦争を知ることで真実を語れるというのは彼のモットーでもあった。著者の「人を撃ったか」という問いに対してはぼかして話しているリモノフだが、恩赦でソ連に戻らずに戦地へ赴いた場合、彼は容赦なく撃ち、それを伝えただろう。現実に合わせて人間は変わる。自分に正直になるのは、他人又は自分に嘘をつかねばならないことがある。プーチンが尊敬していた共産主義も同じパターンで、彼もまた同じなのだろうか。思想や社会のデザインを、なんらかの呼称で括っては不変のものと定義することは日本では珍しくない。リモノフの人生は、我々が無意識にそれをしてしまっていることに気付かせてくれる。リモノフが心の底から救いたいと思っている乞食、芸術にすがるも才能がない者、アルタイの街に座する盲目の物乞いたちが連なった先に彼は立っている。如何に地下ベストセラー作家になろうが、リモノフはその頑固さをもって、貧困と戦争に留まり続ける。自分の人生を考えすぎる人から見れば、真面目すぎて勿体ないだろう。自分もそう思う。だが、同時に独善的すぎる自分や、そう感じる人々を真っ向から否定してくれているような気もして、奇妙な清々しさもリモノフから感じ取るのだった。

私に怒鳴った身内は正しいのだろうか...まさか!!

(17.1/5)

戻る