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最近出た『リミナルスペース 新しい恐怖の美学』という本が気になっているのだが、まだ読めていない。なので、ここからの下の文章には同書が言及していることも含まれているかもしれない。
リミナルスペースとはネットミーム的に拡散・浸透したシチュエーションといえばいいだろうか。誰もいない地下道だとか夜のコンビニだとか、ちょっと怖い、寂しい、不安になるようなワンショットを捉えたものだと認識している。ショッピングモールや空港の通路など、人間のために作られた場所に人間がいない、という状況が多い気がする。映画『リング』の呪いのビデオのように、いかにも何かあるって感じの風景でなく、ありふれた場所が異界に感じられる一瞬を現在から感じ取る習慣の産物かもしれない。これまた触れていないので名前を出すのも恐縮だが、『8番出口』もリミナルスペース的な感覚を反映した作品なのだろう。 やっぱり誰もいないというシチュエーションが重要だ。それがSNSという誰かと繋がりっぱなしの場で拡散されるのがまたアンビバレントな関係だが、エロスとタナトス的な?万事つがいの理というやつである。
ノスタルジーを喚起するとして受け入れられている向きもあるはずだ。夕暮れ時を捉えた写真がよく挙がるのはその証左だとしか思えない。少なくとも自分にとって、リミナルスペースのタグとともに流れてる写真のうちで、個人的に納得できるのはそれぐらいのものである。そして、このノスタルジーを喚起するモノはすでに自分の中に定義されており、そのせいでリミナルスペースが入る余地を持たない。それはビデオゲームのセーブポイントである。簡単にいえばデータをセーブできたり、次のマップに行くまでの小休止場的な役割を果たす場面のことである。そこでは落ち着いたBGMが流れてることが多く、ボス戦などのストーリーの山場の手前でリラックスできる時間が確保できる。リミナルスペースと呼ばれるあの写真には音楽がない。 ゲームによってはセーブのコマンドを使用できる一地点として設置されていることもあり、こちらの方が伝わりやすいかもしれない。『ドラゴンクエスト』でいう教会(神父)だったり、『ファイナルファンタジー』シリーズではよくわからない光っている何かだったりする。『バイオハザード』はインクリボンという丸いアレを持っている場合に限り、タイプライターを調べたらデータを記録できる。ざっと思いつくのはこんなところだが、最近のゲームは場面を問わずセーブができてしまうのだろうか。 上で書いた「次のマップに行くまでの小休止」としては、回復アイテムが置かれていたり、自身の装備を整えることができる場面が該当する。先に挙げた『バイオハザード』ならアイテムボックスのある小部屋(ここにはたいていタイプライターがある)だ。『星のカービィ スーパーデラックス』ならボス戦前によく出てくる小部屋だったり、『風来のシレン』なら宿と倉庫がある奇岩谷のようなスポットだったり、『クロノトリガー』であれば時の最果てである。20世紀のゲームばっかり例えに出しているが、昔では当たり前の概念だったので仕方ない。
もう一つ、自分にとってはセーブポイント的な、ひいてはリミナルスペース的なシチュエーションがある。それは深夜のテレビ放送であり、ゲームとともにテレビ越しに成り立つものであった。同じブラウン管のテレビで体験していたセーブポイントの感覚を両者から無意識に感じ取っていたのかもしれない。 中学・高校の中間または期末試験期間に一夜漬けで勉強するのだが、結局やる気を失ってテレビをつける。すると夜中にもかかわらずアニメがやっていたりする。心なしか暗い内容のものが多かった気がする。今川版『鉄人28号』とかね。家族も寝静まっており、世界で自分しかこの番組を見ていないような気分になったものだった。それは今のように動画サイト上で選ぶのではなく、番組の方から飛んでくるものであった。よくわからない作品と交通事故的に出会ったことが記憶に残る要因と思われる。 深夜アニメとビデオゲームをつないだ例の一つが、PS2で2002年にリリースされた『GUNGRAVE』だった。ゲームの設定に基づいたオリジナル脚本を擁したテレビアニメが2003年に放映され、まさに中3の期末試験中に視聴した記憶がある。 ゲーム版では各ステージをクリアするごとにセーブ画面に移行する。そこではNPCと軽い会話ができる以外はセーブするしかないのだが、BGMがない代わりにラジオから歌が流れてくるというシチュエーションだった。なんとこのゲーム版の音源をアップロードしてくれている人がいたから、上で共有した。ちなみにここで流れる楽曲は、アニメ版の山場となるエピソードでさりげなく再生される。音楽を介してゲームとアニメの二つの世界に橋がかけられた瞬間だった。
再生するだけで当時のセーブポイント感が再現されるわけもなく、一生取り戻せない時間であることをつきつけられるだけだ。ましてや「これはセーブポイント(リミナルスペース)です」といちいちジャッジするなんてもってのほか。受け身ではもうダメなのである。かつて感じていたモノを何かしらの形に再創造することがノスタルジーと折り合いをつける、たった一つの冴えたやり方と思われる。それを新しいものとして受け止めた第三者たちが、まさに深夜のブラウン管テレビを前にしていた自分と同じような感覚を味わってくれればいい。ノスタルジーを投げかけることで懐かしがってもらい、逆説的に願望をかなえてもらう、みたいな? ヒントはリミナルスペースが跋扈するSNS上ではない場所に、オアシスことシェルターことセーブポイントを設置することだ。作っている雑誌がそんな場になれればいいなあと考えるだけだが、確かに考えている。
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(25.11/21)
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