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『FEECO』Vol.7収録記事から先行公開です。 わたしの人付き合いは、割合でいうと年上、それも自分の親世代の人が多い。よく行くお店の店主であったり、この雑誌やウェブ上で公開している文章の読者であったり、フィールドワークとして取材に応じていただく方々など、いくつかのパターンがある。永井荷風が神代種亮にかつての東京の風景を聞いてはそれを自身の小説へと落とし込んでいたように、生まれるよりも前の時代の作家や出来事について調べていると、必然的にその時代を過ごした人の生きた声が必要になるのだ。 そういうわけで、伝説と呼ばれるお店の類にもそういった角度から触れることは少ないのだが、ここにKurara Audio Artsという例外がある。わたしはお店にもオーナーの野界さんにも一切のご縁がなく、この十年ちょっとは散発的にDJをされていたことさえ知らなかった。手元にある氏の文章は『美術手帖』96年12月号のサウンドアート特集のみ。お店について知っている事柄は、96年の『クイックジャパン』で、中原昌也さんがティム・ゲインに「ワスプが置いてある店」と紹介していたことぐらい。それでも、Kuraraへ行ってみたかった。 昨年末に高円寺で開かれた回顧展には足を運べなかったが、関係者たちによるジンや、今回寄稿してくださった高橋さんの文章、そしてオーナーの野界さんの訃報が出た時にSNS上へ投稿されたそれぞれの思い出を見ていると、タイムマシンをいまだ開発していない人類の評価をまた下げてしまうのであった。 わたしはNurse With Woundというアーティストに人並み以上は入れ込んでいるのだが、KuraraのディスプレイにNWWのレコード(野界さんにとってのバイブルであっただろう『Broken Music』にNWWは載っていない。つまり特定の本を鵜吞みにすることなく、他方からのインプットと接続して、あのラインナップを作り上げていたのだ!!)がいくつか並んでいたことは、唯一わたしとお店(野界さん)との縁と呼べるものであり、タイムマシンがないことの不満はこれで埋められている。いや、縁らしきものがもう一つだけある。野界さんは年齢の割に若く、幼く見える風貌だったそうだ。これもまた自分と重なり、勝手に身につまされる事実である。Kuraraでお話したかった。 (26.4/1) |
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