『君たちはどう生きるか』

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まだ始まったばかりにもかかわらず今夏は凶事だらけで、相応の癒しを求め続けている。酒とレトロゲームもいいが、物量に依存しない、霊的な体験にも飢えている。だからこの間も静岡に行ったのであった。そんな時に、親族のあれこれをやっているからと労いの小銭をもらう。バーリアル500ml1ダースへ引き換えることなく、MOVIX京都へと行く英断。この規模の映画館は『シン・ゴジラ』以来で、あの時も夏だった。ドルビーデジタル云々うたおうが、ドラッグストアのCMを真っ先に浴びせるのはバカげている。これだけで帰りたくなるところを耐えたのでエライ。

そんなわけで『君たちはどう生きるか』を観た。思えばジブリの映画をリアルタイムかつ映画館で鑑賞するのは、たぶん生涯で初めてだ。ほぼ全部金曜ロードショーかVHSだったし、自分からレンタルビデオ屋に行くことも滅多になかった。漫画版『ナウシカ』、『もののけ姫』、『千と千尋』、『宮崎駿の雑想ノート』で網羅できると勝手に思い込んでいたからだ。だから『ポニョ』は観てないし、『風立ちぬ』と『ハウルの動く城』も一回見たくらいのもので、内容だって全然記憶していない。そんなニワカが今さら宮崎駿に霊的なショックを求めるのはなぜなのか。先日他界した坂本龍一を筆頭に、自分の親の世代が終わりを意識するということに敏感になっていたから(宮崎駿は80を超えているから祖父の域だが)、自分のすぐそばにある現実とこの題が重なっていたからか?言語化には苦労するので、暗い夏の光景の一部として記憶してみたくなったとしておく。

吉野源三郎の同名著作が原作とのことだが、当然のように未読である。勝手に反戦色の強い作品であると想像していた(自分がこうしたメッセージを欲していたともいえる)。実際に物語は大戦下の空襲からはじまった。それまでの日常が強制的に終わらされ、ゼロから始めざるを得なくなった少年マヒトの視点で新しい生活が描かれる。新しい家族とのぎこちない会話や、新しい環境に馴染めないことからマヒトが起こした発作も、戦争中の風景の一つとして淡々と描かれている。軍需に浮かれる父親と、戦争で「死んだ人たち」を悼む母親も然り。
そのまま戦中戦後の日本の一角が描かれるとおもいきや、物狂わんばかりの幻想の世界が開かれる。当初の予想はここであっさりと切り捨てられた。しかし、幻想もリアリズムも、現実という出発点は共通している。そこから過去へ行くか、未来へ進むか、あるいは片方を通してもう片方へとゆくとかイロイロあっても、新しく始めることには変わりはない。現実の世界でも幻想の世界でも、新しい生命の誕生を祝福する場面があることはその証ではないか。
 原作小説がそのまま劇中に登場する。この本と出会った宮崎駿自身の経験が作品に落とし込まれ、過去の再現ではなく一つの出来事として再創造される。ここ以外でも見つかる宮崎の記憶の断片が同じ働きを見せる。弓矢というモチーフへのこだわり、自らの手で道具を作ること、指示を仰ぎながらの食糧確保、トラウマと道しるべの二つを果たす炎、(おそらく戦争に使われるものであろう)機械に抱いでしまうロマンス。
とどめに数多の異世界間にまたがって存在すると説明される「お屋敷」が、そのまま宮崎の内面にある記憶の廊下、重要人物である大叔父の言葉を借りれば「時の回廊」として構えている。はっきり言って驚いた。私が去年から研究している英国的憑在論、過去と現在が交錯する個人的なタイムトラベルを、日本育ちの宮崎が自分のやり方でやっている。
戦争で焼き払われた町々から、自然がずっと残り続けている郊外への移動という対比のみならず、ストーンヘンジめいた遺跡(門)や異界の入り口としての森、意志を持つ石、平穏を破壊する飛来物(ナイジェル・ニールの書いた『クォーターマス』シリーズの脚本に似ている)という意匠も出来すぎなくらいに揃っている。極めつけはマヒトと大叔父の対話が『指輪物語』序盤のガンダルフとフロドの(非キリスト教的世界観な)問答のようであることだった。世界は苦しみに満ちているが、そこで何を成すかが大切である。つまり「君たちはどう生きるか」と。ここまで宮崎がトールキン的になる瞬間があったのだろうか。上で挙げた要素を模倣しているではなく、必然的にこれらを用いることに辿り着いたのだ、ということを書いている。

制作期間が足りなかったように見える気もしたが(特に終盤)、それ以上に戦争という背景の必然性がそれほどないことが引っかかる(それを期待していた自分が悪いのだが)。父親の職業と戦争の関係がほぼノータッチであるところも物足りぬが、マヒトはまだ子供なので、人生の背景を整然と理解する必要も機会もないと考えることもできる。すべてはこれから、新しい一日のための物語としようか。

表題はともすれば上意下達に聞こえるという声もある。だが、私としてはそんな風に聞こえていない、今のところは。「君たちはどう生きるか」という問いかけは、この小説や映画だけでなく、現実のあちこちにあるからだ。遠い国の戦争のニュースだろうが、「ユニクロと安く食べられる牛丼があるだけマシだからみんなで貧しくなりましょう」的な物言いだろうが、親族間での板挟みに遭う日々だろうが、たくさんの現実が瞬間ごとに問うてくる。誰が何を成した、あるいは成しているかはこの際問題ではない。少なくとも今の私にはそうであるし、そのつもりで生きていかねばならないのだった。夏はまだこれからだし・・・。


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(23.7/21)