神林長平『ラーゼフォン: 時間調律師』(2003)

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神林長平が『ラーゼフォン』のノベライズをしていたなんて知らなかった。昨年に『天国にそっくりな星』、初期作品集『狐と踊れ』、『あなたの魂にやすらぎあれ』を再読して以降、神林への念が静かに沸き立っていたところに『ラーゼフォン』である。てっきり別のアニメのノベライズだと勝手に思い込んでいた。『ラーゼフォン』アニメ本編も後追いな身(はじめては『スパロボMX』)としては、遅れての出会いも必然か。

内容は設定を用いたオリジナルの神林ワールドとした方がよい。実際に登場するMUやラーゼフォンといった巨大な存在は共通しているが、登場人物の多くは異なる設定をもち、名をもじっている程度でほぼ別人のキャラクターばかりだ。ストーリーにはエジプト神話が装飾として持ち出され(ライディーンとラ・ムーの神話的な関係に近い)、物質化された時間という実体のないものを中心に据える、実に神林長平らしいセオリーが展開される。『天国にそっくりな星』の「ないはずのものに影を与え、実体があるかのように錯覚させる」を思い出さないわけがない。しかし、朝比奈と鳥飼の関係や、主人公の母親が「おばさま」と呼ばれているところなど、本編の面影というか残響というべきか、別の時間軸に思いを馳せる余地がそこかしこにあるのが巧みだ。本編ラストでリセットあるいは改変こと調律された世界という前提をふまえると、結末は『ラーゼフォン』らしく感じるし、なによりも本編を見返して比較したくなる。ラーゼフォン自体の設定は、歌い主ではなく宇宙という楽器を鳴らすピックのような存在され、神性を強調されつつも一つの装置になっているところも、神林のミリタリー嗜好とのよき化学反応だった。このように、劇場版やゲーム版と並べても遜色ない、あり得たことがあり得ているラーゼフォンだった。

『天国にそっくりな星』との近似があるかのように『時間調律師』を読んでしまうのは、単に『天国~』を読んでいたという理由だけだろうか。『天国~』は、嫌なものにはノーと言い続けてしぶとく生きる中年を通して、終末思想が強まり浮かれる90年代を先んじて拒むかのようだった。『時間調律師』も、気が遠くなる時間のループを経て達観した(相応の人生観を得た)主人公が、輪廻を終わらせることで同級生たちを繰り返しから救ってやると発奮する。その決意はラストにて明かされる事実が萌芽であるとわかり、少し寂しい結果をもたらす。だが、事実としてあったということは、それを知る人にとってなかったことにならない=その人の中で生き続けるという逆説の救済であった。劇場版で綾人の母親が出産した理由だってこうだった。そのおかげで、小説のラストもまた『天国~』と同じように気持ちの良い幕引きに思えてしまうのである。

もちろん『時間調律師』を映像で見てみたいというのが、率直かつ真っ先にやってた感想である。TVアニメ版は今見てみれば、女性キャラクター中心にキャラ立てがひと昔って感じで良くも悪くも時の流れをつきつけられる。ここは劇場版でも見返そうか。ドラマCDはこの手のアニメに多いキャラクター崩壊ものなので、同人誌みたいなもんだと割り切れる人は聞いてみてもよいだろう。


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(24. 10/1)