金沢には今まで住んできたところ全部がある(気がする)

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京都から金沢に引っ越して1か月経った。一日に一つは新しい場所を訪れるというルールで外出していてわかったのは、建物の配置ないし規模が、自動車持ち向けであること。資源ゴミの回収は基本的に自分で収集エリアに持ち込むのだが、段ボールや古紙などはそれなりに大きなスーパーでしか預かってくれない。距離を確かめるために段ボールの束を担いでは徒歩でリサイクルステーションとやらに向かうのだが、自分でもわからないまま炎天下を歩くものだから二回は熱中症になった。

本題は、まだほんのわずかとはいえ目にしてきた金沢の風景の多くにデジャヴを感じることである。一応城下町エリアに含まれるせいか、金沢城~兼六園から離れた自宅付近でも、堀のような設計を持つ家や小さな水路がたくさんある。京都市暮らしはこれを疎水と呼んだりしていたが、水門を管理するバルブがむき出しだったりして、『ゼルダの伝説』感が高い。京都市といえば、北陸鉄道石川線は白山市の鶴来まで伸びるローカル線で、駅から車両まで、出町柳から市原までの叡山電車そっくりだった。

その白山市に入ったところくらいまで車に乗せてもらって、いろいろ連れ回してもらったのだが、その道中は典型的な田園地帯である。山のてっぺんにある会場は、かつてヒッピーの祭典的な「夕焼けまつり」の現場らしく、裸のラリーズが複数回演奏していたと記録には残っている。このエリアは橋が渓流をまたいでいるところ含めて、生家だった青梅市吉野(訪れたエリアの名前もまさに吉野だった)~奥多摩を越えた小菅村に似ている。同行してもらった人に自分がかつて暮らしていた土地の話をするにつれ、いろいろと思い出したが、正しい記憶かは自信がない。
その後北上して内灘方面へ向かう。バイパスを通り高いところから見えるビル~住宅地群は京王線の多摩方面行のようであり、立川から青梅方面へと伸びていく中央線かもしれない。
日本海は基本的にしけていて人がいないイメージがある。先日一人で行った金石海岸はそうだったし、連れて行ってもらった内灘北もそうだった。後者は明らかに2024年の地震の爪痕があり、あまり気乗りしないという理由ですぐに去ったのだが、道中のアカシアの木の間を縫うような車道は、アイルランドのクレア州で通過したあのグリーントンネルを思わせる。そもそも基本的に曇っているところや東西が坂道状で繁華街がその真ん中にある金沢はダブリンに似ている。少し歩けば公園が次々と出てくるところはベルリンっぽい(本当に多い。腰を下ろすベンチだけがある芝生とか)。利用している人はほぼ見かけないが。

場所場所場所、ということで人付き合いはほぼない。人含めた土地なのは確かだが、他人と並ぶ時は自分のモノサシと直面しないといけないからおっくうになる。だが見知らぬ土地とはいえ、変化を求め能動的にならない限りは、これまでの土地に住んでいるのと変わりがない。海外在住だけどずっとSNSで日本語で発信し続けている人みたいになるのは避けたい(あれも使い方にすぎないが)。今は運良く家仕事だけでなんとか過ごしているため、外に出なくてはならないってことはないのだが、受け身の人生を抜けるために移動してきたのだから、それを実感できる形でなにか残しておきたい。今後、今回みたいに興味ある土地に引っ越せるだけの余裕が自分にできるとも思えないし。変化、それも自分がコントロールできない領域で起こるそれに反応してこそ生活し甲斐のようなものが出るはず。

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(25.7/25)