金沢合宿

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10/14まで渋谷HMV内で開かれている中原昌也さんの個展に行った帰り、北陸新幹線に乗って金沢まで行った。原稿を書くために文豪気取り(安直なイメージ)で旅館に缶詰めになるためだった。金沢というか石川県を訪れたいと思っていたので、ささやかながら願望が叶った。

北陸新幹線を利用するのははじめてである。東京から金沢まで移動するために乗ったが、どのような経路を通るのかさえ知らなかった。だから飯山あたりから山を迂回するように北上し、海沿いを走るコースはちょっとした驚きだった。長野前後の山々の風景は圧巻で、悪天候がかえって神秘的な画を用意してくれたといえる。
高校の頃に修学旅行で山のど真ん中にキャンプをしたのと、小学生の頃に父親と二人でキャンプ場を訪れた以外に長野山部の記憶はないが、後者もさほど天気は良くなかった気がする。父の運転する車に揺られ、鬱蒼とした森の中に運ばれたはずだ。今でも覚えているのが、駐車場の利用を申請するために管理者のいる小屋へ入ったときのこと。まだ名乗ってもないし、用紙などに名前を書いてもいないのに、当然初対面である管理者が「平山さんはご利用ははじめてですか」と尋ねてきた。小学生ながらにおかしいなと思ったし、父親も首を傾げていた。結局あれはなんだったのか。

金沢は観光都市であるようだから、部分的に見覚えのある光景が多い。京都市と同じで観光客が交通機関、というか市バスに溢れているところはそのままだ。だが、その規模は京都に慣れている身からすれば閑散にすら映る。街の規模もそうというと聞こえは悪いが、観光都市としてのインフラ含めて、京都を縮小したと呼ぶのがピッタリだった。市バスはICカード非対応で、運転手の対応は頑なに日本語のみである。かつての京都市を見ているようだが、今でも大して変わっていないかもしれない。

予報よりは軽い雨模様なので、宿に着いてから歩いた。宿のある片町エリアに限るが、やっぱり京都市中央を圧縮したような環境だった。違う町だが、似ている箇所が多く、デジャブに困らない。たとえば犀川から延びている流水沿いの道は木屋町に似ている。一つ筋を動かせば大通りになるところは大丸のある河原町通りといったところか。祇園の松原のような建物も多く、寺院が観光名所で張り切っているところもますます京都だ。しかし、そこには過度な観光需要に急く京都的な落ち着きのなさはない。結局周囲の居酒屋などを求めて歩き回るが、どこも満席であったために石川県発の回転すしチェーン「もりもり寿司」に入る。若干の高級路線だが、確かに美味しかった。宿の隣にあった町中華もかなり私的な良さの基準を満たしていた。
宿泊先は個人の家を改造したような規模の旅館で、家族経営だった。お邪魔している感覚が強く、注文できるはずの酒の注文も気おくれして頼まなかった。次はしっかりお願いしたい。なんと朝食付きで、その内容があまりに素朴で感動した。こんな時間を過ごしたかったとエセ作家暮らしに自惚れている己。もう10年早ければ、とは思うまい。移動中に読んでいた神林長平の小説で繰り返される「歳はとるものだ」ということばが実感される。

ここからは訪れたスポットをいくつか。オヨヨ書店は冷やかしになってしまったが、資料が集まりそうな場であった。京都のようにできてはすぐに消える個人店舗も少なく、それだけに町の中では貴重な一軒だと思われる。流水沿いの狼騎なる喫茶店。ゴスペル~カントリーが絶えず流れる空間が気に入った。入っていきなりロッド・マッケンの歌う「Green Green」である。勉強したり読書をするには気が引ける狭さもよい。宿にチェックインした後にとりあえず入った『もっきりや』の開放的なさまと対照で、どちらも通いたくなる。わたしはあちこちを周遊するよりは、気に入ったところに何度も通いがちだ。だから最初の印象が肝心であり、すぐに気に入る店に出会えるとそれだけで元を取るだとか、コストといった定規は不要となる。
ジャズ喫茶である『もっきりや』に先客は一人、なんとThe Pop Groupの2枚目のシャツを着た若者だった。だからということはないだろうが、何軒か周囲のレコード店や喫茶店をのぞいてみたら、どこも60年代ジャズ、ラテン、アフロ、いわゆる黒人音楽がメインだった。レコード店「ジャングル」は量もすさまじく、カリプソ、スカ、ジャイヴとより細分化されたジャンルの棚が並ぶ。ホワイティなニューウェイヴなんかはだいぶ少ない。自分はターゲットでないかも、と思った矢先にフォークの棚を見つけて、シャーリー・コリンズらトラッドの充実ぶりに嬉しくなる。

最後にひとつ『男はつらいよ』に出た蛤坂を適当に歩く。思えば金沢駅から片町まではとにかく坂道である。繁華街もその眺めが一望できる。見たことのある景色かと思ったら、ダブリン市中央だ。似た地形は似た都市になるようだ。
片町から15分あるけば観光客も多い商店街につけるし、蛤坂周辺の少し寂しい住宅街にもいける。いずれも古い家屋が残っているが、京都のようにそれを商業的に酷使するわけもない。ただ古く、今まで残っているだけの建物があるだけだ。淋しくもあるが、それが心地よいのも事実だった。繰り返すが、こざかしい町屋カフェといったものがない事実に癒される。
とかく坂道が多いから平坦な京都と比べて徒歩の移動が少し苦しいというのは正直なところだったが、街の性格が違うのだから仕方ない。車があればより楽に周遊できそうだが、自分はここがネックである。海や山を見張らせる公園や日本海沿いの港などは、その移動も含めて次回に実状を確かめておきたい。


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(24. 10/13)