『聖家族』の書き出し

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死があたかも一つの季節を開いたかのようだった、というやつ。『聖家族』とは堀辰雄という人が書いた小説。青空文庫でも読める。
他人の人生(世界)の終わりがどれほど自分に関係のあることか、どれほど大きなことなのか。物語にして日々読み返したり、時間を停止させたままにして放っておいたり、まあ人によって納得の仕方はさまざまだ。それらは「好きだった」といった過去形で終わらせたくないということで共通していると思う。そうでなければ季節と違って有限な人間はすぐに消えてしまう。古典や今日まで長生きしている人たちからは、こうしたことを勝手に学んできた(ついでに、この文章に出てくるいくつかの言い回しも)。

無意識に過去の出来事にしてしまうことは多いし、それは事実である(死者の声が毎日聞こえますなんて、それは診察なり受けて確かめたほうがよく)。それでも、最近は過去形をあまり使わなくなった。日々過去の出来事について調べていることも関係している。想像して記せばそこに誰彼がいる、いう感触がある。
文字を生み出し、現在やっていること、過去に起きたこと、これからやることを頭の外に出せるようになった時から、人は時間から解き放たれたという。物語から記録まで、グラデーションこそあれど、時間を飛び越えて伝えることは供養ともいえるのではないか。

えぇ、羽田明子さん。日本語版書籍をお渡しこそしたけど、教えてもらうばかりでお返しがまだまだできていません。お借りしたものを使って、ちゃんと形にするつもりです。あと少しお待ちください。

うぅ、毛塚了一郎さん。コミティアではもう他所のブースへ挨拶しにいくこともなかったのでご無沙汰でしたが、2028年の催しに向けてお声かけするつもりでした。頑固といってもいいこだわりが積み重なって、わたしたちの世代にはもうなかった、在りし日の中古レコード屋さんみたいなマンガやイラストになっていますね。


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(26.7/16)