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静岡へ遠征し、演奏を見たり、浅間神社に行ったり、酒の席に参加したり、古書店で本を買うなどした。買ったものの一つが五木寛之の対談集『視想への旅立ち』(1981)で、寺山修司、篠山紀信、武満徹、塚本邦雄、山下洋輔といった面々との会話が収録されていた。 わたしは五木の著作をほぼ読んだことがなく、「青年は荒野を目指す」の作詞をしたとか「デラシネ」という語を広めたとか、金沢と京都に思い入れがあるといった断片的な知識しかない。中でも一番は色川武大との縁である。色川のエッセイで金沢に住む五木を尋ねた件や、車の中で「郵便局員の仕事に就きたかった」と色川がなんとなしにつぶやくと、「ああいうのも組織だから大変だ」と現実的な返しをしたやりとりの記録があり、雑誌では賭博について対談する企画もあった。ロシア文学に精通している五木にとっても博打は重要であり、プーシキン『スペードの女王』を読めばいかにロシア人に博打が浸透しているかわかると書いてあった。 五木はいわゆる引き揚げの当事者であり、対話者も武満徹など似た境遇の人物が散見できる。日本の植民地であった満州なり大連なりで過ごしていた記憶を持っており、その経験が純な日本らしさというものへの懐疑というか、本土にあるものが日本由来のものだという答えには首肯しかねる態度へと結びついている。たとえな大連はロシア統治時代にかの国の文化、建築があったわけで、幼少期にエキゾチックな経験をしてきたことが、日本的なもの・日本らしいとされるものへの執着がないどころか、実感が不在である。この違和感のようなものが、デラシネすなわち不定住の生き方の礎になっているのかもしれないと五木は話している。時代も状況もすべてが違う世代であるわたしだが、条件は過程でしかなく、五木がこの感覚にたどり着いたことに親近感のようなものを覚えた。色川武大の内省的な文章を読んだときにも近い気分だ。 日本列島は島国であり、東の果てである。だから西から北からやってきた人、民族、文化はそこに滞留し、混ざり合う。混ざるといっても過去にあったものと新しいものが均等な割合で融合するのではなく、過去のものをひっこめて、やってきたものを新たな常識として刷新するくらいの勢いで取り入れる。神道であったところに外からやってきた仏教一色となったのはいい例と思われる。反対に外へと出ていくことはなく、日本は日本でとどまり続ける。出ようものなら、つまり現状に異を唱えようものなら排斥される傾向が強い。しかし、外からやってきたものはとりあえず受け入れる。こうしてポリな、斉唱的な文化ができあがる。日本社会およびそれを構成する一人たるわたしもこれをほぼ自覚しないまま今日までやってきたわけで、日本は単一民族国家とかあの手の戯言がなおも聞こえてくるのも、ある意味仕方ないといえる。この身近なタブー、五木は高畠通敏との対談中に3つのSこと「政治」「セックス」「差別」と定義しているが、五木のようなデラシネ視点は異邦人がこうした近くて見えない理に影を与えて実体にするという、ある種の神話・伝承的元型のバリエーションとしてみなせるだろう。今日では属性的な文脈でしか用いられない「マイノリティ」の語が含んでいた意味の一つ、だろうか。 もっとも関心を引いたのは、高畠との会話中に出てきた戦後への認識である。「8月15日の空は青かった」という言説、すなわち終戦直後から高度経済成長期と呼ばれる時期のはじまりに及ぶ、戦後間もないあの時期の理想化に異を唱えていたのだった。この「終戦の日の空は青かった」というのは、色川から向田邦子まで使用しているたとえであり(実際にそうだったのだろう)、以降のロマンチックすぎる戦後日本の風景として濫用されていくものである。アニメで田舎の風景プラス入道雲な背景が常に描かれ続けるのと無関係でないような・・・ああ、いや、それはともかく、博打好きの色川と意気投合しているが、そこは違うのだなと思った。そこはもう引き揚げでピョンヤンから博多へと至る際に地獄の経験をした五木ゆえにであろう。同じ戦争という天気の下とはいえ、過ごす場所では違う景色が見えている。不幸比べになるということをいいたいのではなく、そうした覆せない差異を生むのが戦争だとすべきであり、わたしが空調のきいたドトールコーヒーでこれを書いている今でもそれは同じ前提のまま絶えることはない。 色川を擁護するわけではないが、氏(あるいは野坂昭如のような焼け跡世代)はもう戦中時代に一度死んだようなものであり、そこから急に与えられた自由や民主主義といった概念が、焼け跡の上に新築された建物や行きかう人々と同じくらいにリアリティが抱き辛かったのではないか。ある意味でデラシネな色川は、より獣の方へと近い感性であり、だからこそのアウトロー、流浪編集者、からの自由業へと至った。五木や武満のように坩堝的な日本と、そこに滞留する日本的なものを自身が立つ俎上とみなす意識も極めて薄かったのではないか。死ねば焼けただれた土となり、生きているものはみなその上に置かれただけ。終戦日の青空もまた焼けた土のように、そこにそれがあるだけという定理の象徴またはそれ自体である。活字でしかこれを知り得ないわたしのような人間でも、こうした実体験なき「死ねばそれまで」的な認識はニヒリズム的な遊戯でさえないと思えるし、五木のような経験をした人たちが実際にいたことをそれで片づけられるわけもないと改めてつきつけられるような気分になる。この差異そのものが現実ということだろうか。 (26.5/27) |
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