つのだじろう『その他くん』いとうみきお『月曜日のライバル』

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つのだじろうが1976年に連載していた半自伝漫画家漫画『その他くん』を読んでいる途中である。その他くんこと中学生・園太が漫画家を目指す物語で、つのだ本人の実体験とフィクションがブレンドされている、はずだ。主人公はあくまで園太であり、つのだ本人ではない。半自伝と描いたのはそのためである。
園太は今でいえばADHDなどの呼称で矮小されてしまいがちな、あたふたした子供である。叱られれば死んだフリをしてやりすごそうとし、聞き間違いや勘違いの反動で無茶な行動をやったりする。そんな自分の生きづらさを自覚しているから高校に進学するのも気が進まないと親や教師に打ち明ける場面の数々は、漫画を描いて仲間を増やす青春の前フリにすぎないのだが、こちらの方が読んでいて落ち着くのは自分だけかな。
 この時のつのだは1973年の『恐怖新聞』はじめとするホラーもので多忙な時期を越えたばかり。不惑を迎えたというにはまだ若い気がする(当時40歳)ので、漫画家志望の若者たちに向けた作品という方針だったのかもしれない。現に石森章太郎が「批評してもらいたければ完成した原稿を持ってくること」を念押しする場面があったり、貸本世代の漫画家が4コママンガを描けと力説するところに、つのだが肌で感じた業界の常識が表れている。つのだ自身も漫画家つのだじろうとして登場し、藤子不二雄や赤塚不二夫らとともに園太へ漫画家になるためのアドバイスをしている。「絵が下手でも漫画家になれる例がいるから安心しろ」と藤子不二雄の二人がつのだを茶化す場面などは、さりげなく自分を道化にする謙虚さを感じた。また、園太が完成させたマンガが空手をテーマにしているもの(これ自体は絵として描写されているだけである)なのは、途中降板した『空手バカ一代』への気遣い、なわけはないな。

物語の舞台は深川で、変わりゆく下町の風景についての注釈が度々入るところに70年代を感じる。都市開発と公害という戦後日本の風景をつのだ自身が園太を通して振り返っているようなものだ。なんとなく永井荷風の小説に似たものを感じる。自分とその身の回りの人間だけでない、生きていた時代そのものを描くことは自伝漫画の必須条件と思う。ハッキリと過去であることを示すからこそ、現在を生きている受け手はあったことを想像できるのである。

リアルというのは人それぞれの模様を持つので究極的には伝えられない。だがリアリティは、前述の時代背景を描くなどの配慮を重ねることで表現できる。その点で、『その他くん』に続いて読んだ、いとうみきお『月曜日のライバル』はリアリティを放棄しており、悪い意味で印象に残ってしまった。それ以外にもひっかかる瞬間だらけで、こんなモヤモヤする漫画家漫画はそうないよ。

『月曜日のライバル』は、作者のいとうが和月伸弘(少年ジャンプ連載の『るろうに剣心』時代)のアシスタントをしていた時期を題材にした漫画である。いとうと同じタイミングで和月センセイの現場にいたのは『ONE PIECE』の尾田栄一郎や、『シャーマンキング』の武井宏之、しんがぎん(故人。『鬼が来たりて』などの作品がジャンプ本誌に掲載されていた)らで、この4人がドラマを織り成すという予定だったようだ。虚しくも、ドラマが発展する前に打ち切られてしまった。ちなみに『Mr. FULLSWING』の鈴木信也などは登場しない。
 『その他くん』と同じように、『月曜日のライバル』も半自伝、つまり一義的なドキュメンタリーではなくフィクションとして作られている。モデルとなる作家たちが現役なだけにアポとりは念入りに行なわれたようだが(単行本のカバーを外してみよ)、本編でリアリティを感じさせる場面はかなり少ない。そもそも著者本人がフィクションである旨をくどくど説明してしまう第1話冒頭からすでに雲行きが怪しかった。ページを進めてみれば、時代背景どころか主人公の身の上さえもほぼ説明せずにストーリーが始まり、そのまま出来事単位でしか描かれない展開が続く。いとう以外はすべて架空のキャラクターとして再創造され、登場する雑誌も然りである。この時点で漫画家いとうの半生を期待した読者は肩透かしを食うだろう。決定打は主人公であるいとう青年(自分だけ「いとうみきお」として描いているところにこの漫画の性格が凝縮されている)が、夢を掴まんとする熱血主人公になっているところで、これまでの経歴を知る読者のいとう像といとう本人のそれがまったく重なっていないのだ。リアルは人によって違う模様を持っているが、いとうはその前提を把握していない。まるで他作家と自分の立ち位置が今でも同じだと言わんばかりで、頭の中はアシスタント時代で時間が止まっているのかとさえ思う。この漫画は実況見聞録を名乗ればよかったのではないか。

打ち切りになったせいで、単行本1巻収録分以降の数話は現在読めないままである。いとう自身のtwitterは完結を告げるものを最後更新がないままだ。やりすぎて関係者筋から待ったがかかったのかと邪推してしまうが、同期のアシスタントらが単行本帯などにコメントを送っていないところからも察するべきだろう。ここにもいとうのリアルが他者と異なる色彩を持っていることが浮き彫りになっているような。
最後にもっともグロテスクに感じたところを二つ。あとがきに「(絵が)上手い人ほど謙虚なんですよね」と書いていたこと。もう一つは、しんがぎんがモデルのキャラクターだけ無駄に設定(ガールフレンドっぽい存在がいる大学生)を付けるなど、自分以外のキャラクターにヒロイックな行動をとらせていること。『ノルマンディーひみつ倶楽部』(あれも漫画家目指す漫画やったわ)も今読んだらゾッとする瞬間に気付いたりして。


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(23.11/6)