旅行記2018 pt3. ベルリン


 最後に訪れたベルリンは10日と少しの滞在になった。市内の北部・パンコウ近くに住む方のお宅にお邪魔し、広い空き部屋を貸してもらえた。ここ数年、個室がほぼないような生活を続けてきたため、プライベートが保証される空間にいるだけで感極まり、寝る食べる独り言を漏らすだけで満足度が頂点に達してしまった。肝心の仕事をほぼ放置し、ひたすら寝て、食べて、飲むままに過ごした。

 残りの資金がわずかの状態で訪れたベルリンだが、生活する上で必要な諸々が((家賃や光熱費を除いて)安いのもあって、あまり困らなかった。まず野菜が安い。今年の日本の有様を見てるだけに尚更そう感じる。時期や収穫量の出来によって変動するのはもちろんだが、1キロ単位で買えば相対的に安いのは明らかであった。
渡しは食事自体への拘りがない人間なので、自分で作った料理を味わって食べたり、メニューを凝るということはしない。よって、ほぼ毎日同じメニューで済ませた。パスタまたはペンネと野菜を湯がいたスープ、時々ハム。今以上に金が無い時期は何も食べない日もあったため、何か胃に入ればそれで十分と常々思っているのだが、ベルリンで過ごすと改めてそう思う。これはビールや一部のお菓子、日本では嗜好品にも近い位置にあるものが安いことにも起因する。(私にとっての)食に関する贅沢はこの2つで解決されているのだ。ビールに関しては500mlで30〜40円くらいだからジュースよりも安い。
もう一つ、安さと質のバランスが良い意味で壊れているものがあり、それがケバブである。主にトルコからの移民をルーツとする人々が経営するもので、市内のそこら中に店が並んでいる。価格から店の雰囲気までバラバラなのだが、近所にはどちらも良い一件があった。たとえ近くになくても少し歩けばまた見つかるだろうけど。1.5食分くらいで200円。野菜と肉がたくさん。ますます自炊に凝る必要性が感じられず、ここに住んでいると料理は趣味の領域に入るんじゃないかとすら思う。


 一日も外出しないわけには行かないので、近所を案内してもらったり、日光を浴びに出歩いたり、SNSで繋がっていて現地に住んでいる人を顔を合わせたりした。歩いてて思うのは、こちらの人は皆信号を守るということ。真面目であり、それは子供に見せて悪影響か否かが規範というか倫理の中にしっかり組み込まれていることの証左、だろうか。とにかくアイルランドの適当歩行者たちを見た後なので新鮮だった。本来、守るために信号が作られているのだが。


下の3枚は住居近辺の風景である。小さな川(私は疎水と呼びがち)が隣を流れており、木々に囲まれている静かなエリアだった。公園がそこかしこにあり、寝る人遊ぶ人と様々である。壁にはグラフィティ未満ラクガキ以上の絵が溢れている。これもベルリンではよくある光景、のはずだ。ぎりぎりサマータイムだったが、すでに冬が近づいている時期だったので日照時間自体もそれほど長くなかった。気温的には少し肌寒い程度、強い雨に遭うことも一度だけであった。


パンコウ手前の駅で降りた先にあった看板、の裏。見慣れた光景だが、『パックマン』の敵キャラには去年も遭遇した。記念に撮影。


 ドイツに滞在する上で気になるのが言語。ベルリンは英語でも通じるエリアが多いとはいえ、マナーと言えばいいのか、出来ることなら相手に合わせて話してみたいと思うのが常。カフェで注文したり、スーパーで買い物するくらいなら出来るのだが、いざ話しかけられた時は成す術なし。蚤の市で値段を尋ねるといったように、観光でも場面ごとに必要な言葉は多く存在する。メモにイディオムを並べるも、発音だけはどうにもならず。




 上の3枚は一人で出歩いた時に撮ったもの。ハッケシャーでFB上のフレンドと落ち合い、頼まれていたお使いを果たす。そのままカフェで一杯奢ってもらえた上に、周囲の建物やお店を教えてくれた。中央の写真はコンサートホールにもなる聖堂である。右はコアラのマーチ。


 外出した先でフマーナ(古着・中古雑貨チェーン)や書店をいくつか回った。10日間の間でカフェには5回ほど訪れたが、ここでもアイルランド・ロンドンと比べて安さを実感する。お気に入りは老健施設に併設された一件で、書き仕事はここで進めていた。中心部から近いとは思えない静けさだ。その分、道行くムスリムの女性を威嚇する男性(恐らく現地生まれの人間だろう)を見た時はショックだった。国際都市であるベルリンですらコレなのだから、他の都市では更に、だろう。


 今回のオズローアー滞在は一昨年にノイケルンで過ごした時よりも短い期間であったが、前回をふまえたおかげか、ただの情報処理に終わらず、感想から推測、考えへと段階を変えながら風景を眺めることができた。気になったのは、やはりベルリン独特のバランスである。貧しいけれど(本来金がかかる)アートに寛容、マイノリティとマジョリティのつり合い(と書くのが正確かどうかはしらない)、それらはいずれも前向きだ。そして後者はドイツが進行形で抱えている問題でもある。前者はゴールウェイとの差がよく出ているもので、文化的に豊かであるベルリンは相当「やりやすい」という印象がある。たとえばゴールウェイでも40年ほど続く芸術祭があるけれど、総括したビデオ(ホステルで見た)を眺めるに、未だ手さぐり、玉石混交であった。もしかしたらゴールウェイがベルリンのような都市に、、、という身勝手な願望も同時に抱いたが、島国の、それも西部の端という限られた状況とベルリンを比較するのは、粗雑というか虫が良すぎるか。


 とにかくダラけている内に10日少しが経過し、テーゲル空港から帰る日を迎えた。行きはガラガラだったが帰りはすし詰め。香港での乗り換えから日本語が聞こえるようになり、一気に現実に引き戻される。次に来れるのはいつになるのだろう。次もキャセイを使おうか、など未来のことを考えた。去年もこうだったが、おそらく一生こうだろう。

 このページのみ、後日追記があるかもしれません。とにかく、今回の旅行は出発前から方々でお世話になり、旅行の間も同様でした。この場を借りて、お礼申し上げます。さあ、次はもっと長くいくぞ・・・。(18. 12/31)