アイルランド旅行記(秘境除く)

1ユーロ137円(金券ショップ相場)

突然だがアイルランドに行ってきた。目的は執筆中の本に向けての取材で、アイルランド西部の都市、ゴールウェイから少し離れた町・ゴート・・・から更に10キロほど離れた秘境を訪れる1週間の旅であった。
あまりに短い滞在期間、そして目的地が目的地なので、いわゆる観光と言えるような体験は出来ていない。それでも移動中に視界へ入る風景は特別だったし、ダブリンにも一晩だけ泊まった。取材先はアイルランドどころか世界のどこを探してもないような場所だったが如何せん彼の地の説明は難しい。よって、ここではごくわずかなアイルランド旅行のレポートを残しておくことにする。
航路は関西空港発、オランダはスキポール空港経由でダブリン行き。実は海外旅行は2回目なのだが、チェックインから移動まで難なくこなせた。キオスク(セルフでチェックインできる機械)を考えた人は天才だ。


ダブリンのオコンネル通り。繁華街として知られているエリアで、旅行者含めて人通りが多い。アイルランドは電車よりもバスが主な交通手段なので、ダブルデッキのバスがあちこちを走っている。最初はダブリン空港から市内を結ぶエアリンク社のバスを使って移動した。7ユーロとやや割高だが、市内の主要スポットを全て周るので旅行者には最適らしい。荷物を格納するスペースもあるほか、車内ではWi-Fiも完備されているので道に迷うことはまずなかった。まぁ、到着時はスマートフォンの充電が切れていたのでホテルに着くまで少し苦労したのだが。
アイルランド入りが夕方5時、ゲストハウスのある町・ゴートへ行くには既に厳しい時間だったので、ダブリンのバックパッカー御用達ホテル、アビゲイルズにて一泊。共同のキッチンがロビーにあり、部屋は個室から12人部屋まで多彩。荷物の管理が少し不安だったが、各ベッドに一つ備えられているケージに錠を使えばほぼ安心。旅行者ばかりで疲れているのか、同室の面々もすぐに就寝していた。室内にはシャワーと洗面台とトイレが複数ある。シャワーは冷水しか出なかったのだが、使い方が悪かったのか。
夕食は近隣で済ませる必要があったので夜間だったが街に出てみた。不思議と初めて来た気がしないというか、昨年ベルリンに行った時のようなナーバスな感じにはならなかった。スーパーをはじめ日本人もちらほらいたし、安心していたのかもしれない。
ダブリンの物価はハッキリ言って高い。500mlのミネラルウォーターが2・5ユーロ。しかしミルクやジャガイモを筆頭に、農作物は日本よりはマシだった。結局怪しいタコス屋でビーフのタコスを注文する。ヨーロピアン規格ゆえに食べきれないサイズ。2食分で7ユーロと考えれば安いか。
朝食は合同キッチンのある場所で無料のトーストとドリンクが用意されていたので、これと昨晩のタコスで充分だった。

ダブリンの街並みはベルリンと似ている。パッと見、豊かではない。建物もビルは少なく、古風の家がそのまま利用されている。観光地にしてはゴミの不法投棄などは少ない。そこら中にパブがあり、アルコール消費量も世界で2番目くらいの国なのだが、路上での飲酒は禁止されているため、ベルリンのようにビンの蓋が地面を覆いつくしていることはない(ゴミの整理が追い付かないから禁止になったとかなんとか)。
一晩だけ見た限りでは治安は良さそうだった。東京のように過度な潔癖症という意味ではない、と付け加えておく。浮浪者たちはベルリン程の頻度ではないが、それなりにいて、それなりに小銭を恵む人々がいた。路上のごみ収集を行なっている人々が浮浪者へ炊き出しも行なっていたが、公的な組織なのだろうか。おいしそうなカレースープだった。
これは主張しておきたいのだが、Wi-Fiがめちゃくちゃ多い。バス会社の停留所それぞれがWi-Fiスポットになっているほか、空港も市内の公的な施設も全てがWi-Fiを放っている。ハッキリ言って、日本のWi-Fi事情はドブ以下で、帰国した当日、関西空港から大阪駅近辺でそれを痛感した。


一夜を明かした後、早朝に再びエアリンクのバスで空港に戻る。そこから都市間を結ぶ高速バス、GO BUSに乗って西部のゴールウェイへ向かうためである。ゾーンと言われるバス・タクシー乗り場が空港には15か所ほどあり、高速バスもそこから出ている。乗るためにはオンライン予約するか、その場でドライバーから切符を買う。空港発だと席を選べるのでお得だ。日本の高速バスよりも快適で、充電プラグとWi-Fi付なのが嬉しい。私が乗ったのはノンストップバスだったが、都市間にサービスエリアもいくつかあるみたいだ。料金は20ユーロ。この時の相場で2600円。大体こんなもんか、という感じ。

ゴールウェイまで3時間、高速道路を抜けたら後は農園風景が延々と続いていく。ひたすら野原、牛、かやぶきの屋根、教会、牛・・・誇張はしておりません。
3時間後、ゴールウェイに着き、そこから更にバス・アイラーン社のバスでゴート(上の写真)へ向かう。1時間に1本出ているもので、これも運転手から直接切符を買う。1時間弱で7.5ユーロ。これはちょっと割高かもしれないが、電車は本数が少ない上に同じくらいの値段がするので仕方なし。もちろん、このバスにも充電とWi-Fiがある。旅人にとってはありがたい。

ゴートに到着してゲストハウスの主に迎えに来てもらう。アイルランドなまり故に聞き取りが非常に難しい。英語力と会話力の貧しさもあってビクビクしながら話してしまったが、最初に拙い旨を伝えておくとゆっくり話してくれるようになった。日本人が過剰にニコニコしているだけなのもあるが、あまり感情を顔に出さない人たちなので、「怒ってんのかな?」と思う瞬間もしばしば。が、基本的に親切すぎるほどに親切な人たちだった。明らかにサービスの範疇でないことにも協力してくれた。
ゲストハウスはゴートの町から車で5分。スーパーはベルリンにもあったリドルのほか、アルディなどがあった。物価はダブリンと比べて明らかに安い。


取材先から「明日にしてほしい」とリクエストがあったので、この日は近隣の探索をすることにした。歩いてすぐの距離にあるのが自然公園・クール・パーク。とにかく大きな敷地で、新宿御苑の10倍?20倍?広さから木々、動物たちの数まで全てが段違いであった。自然保護区的な役割を兼ねているせいか、過剰な手入れもなく、そのままにしてある。東京のように片っ端から整地している日本の現状と比べると、どうしてもこちらの方が自分に合うと思う次第。芝を刈る老人と散歩中の家族、犬と戯れる男がいた。
ティールームでガーリックトーストと野菜スープを食べていると、現地の新聞を譲ってもらった。英字新聞にはまだまだ慣れていないが、何について書いているかくらいはわかる。
予想だが、クール・パークのクールとはゲール語からとっているのだと思う。ゴールウェイあたりから、道路標識や施設の看板に英語とは別でゲール語も併記されるようになっていった。ゲール語とは、ざっくり言えばケルト語の一つで、アイルランドの公用語になっている言語である。今でも話す地域はゲールタハト(ゴールウェイ州もこれの一つ)として呼ばれているエリアを筆頭に現存しているが、英国の植民地になってからは英語が最も大きなシェアを占める言語となっている。

ゲストハウスに戻ったら「夜食買うならスーパーに連れていく」と言ってくれたので、近隣のアルディでパンとお酒を買った。果実のフレイバーだったせいか、とにかく甘かった。しっかりとお湯の出るシャワーに満足しながら就寝。

翌日、取材する本人(!)がニッサンの車で迎えに来てくれた。アイルランドではトヨタはメジャーなブランドらしく、実際にショップもあった。アイルランドは車社会、田舎なら尚更だった。延々と車で輸送されている最中、高い建物が少ないので空がすぐ目の前にあることに気付く。曇り空だが、それでも貴重な風景だった。なお、10分に一度くらいのペースで大雨が降っては止む。たまに視界がふさがれるほどの強さでも降り、命の危険を感じる瞬間も正直あった。
アイルランドにとっては日常なので、すまし顔で「ようこそアイルランドへ」と言われてしまったが。

取材先の家へ向かう途中、妙に高い塔を発見したので尋ねてみる。わざわざ車を止めて、案内してもらった。ここは墓地で、アイルランドには至るところにあるものだという。クロムウェルがアイルランドを占領しにかかった時の犠牲者たちが埋没されている(よく聞き取れなかったが、恐らくそう)もので、あまりに数が多かったために墓の数も足りず、地面が盛り上がる程なのだという。実際に不自然な起伏がそこかしこにあった。また、人骨の破片が草花に交じっている。塔はそれがそのまま巨大な墓標のようでもあり、墓を持たないまま埋められた者たちに手向けられているように感じた。
最低限の通り道として用意されたせいか、とにかく道が狭い。対向車が来たら横に逸れて道を譲るわけだが、それすらも難しい道が多々ある。こんなところでガス欠起こしたらどうするんだろうか?と不安になりながら、ひたすら山道を行く。途中でバレンと呼ばれる区域に入るのだが、これがまた雄大で、見渡す限りの平原と山に小さな岩が生えているかのように並んでいる。形容が難しい・・・。

これはゴートの北西部にあるキンヴァーラという町で撮影。コーヒーを買おうということで一時下車、海沿いに連れていってもらう。そこに大きな馬がいた。騎馬のような屈強さを持つものまでいて、後ろに立ったら蹴り殺されそうだった。ちなみにアイルランドの大手コーヒーチェーンはインソムニアといい、私はその名前が気に入った。

寄り道はまだまだ続き、これはエニスの街中を通るファーガス川。雨がしょっちゅう降るので、これくらいの水量と勢いは当たり前だそうだ。隔てる壁らしきものが少ないので、あまり前に行くと危ないと言われた。エニスはジョイスの『ユリシーズ』にも一応出てくる土地であり、伝統音楽や学校が盛んらしい。寄り道ついでにチップス(フライドポテト)を奢ってもらう。ビネガーだけのシンプルな味付け。

この後取材先に滞在。ここでは割愛するが、上のクール・パーク内で暮らしているような環境だった。いや、それ以上かな・・・。とにかく、辺境にまでアスファルトと電気を通したアイルランドが凄い。


取材先に泊まり、インタビュー翌日の夕方に出発。来たルートをそのまま逆にたどって空港へ。始発の便なので空港内で夜を明かす。名物のパブには行けてなかったので、空港内のバーで気分だけでも味わった。ギネスは日本のそれよりスッキリしており、確かに美味しかった。右の写真は乗り継ぎのスキポール空港で撮影。出生地だけあって売り方も本気だった。ミッフィーではなくナインチェ(本国での名前)と呼んであげてください。

(17.10/6)