相変わらず金欠で将来の先行きは不安なままだが、それ以上に自分の本業をやる意義に対して悩む時間が多くなっている。本業とは筆業、すなわち書くことであり、生業(生活費を稼ぐ仕事)に意義・プライド・矜持の類を見出したことはない。 私の口癖というか筆業に取り組む理念に「自分の仕事は死んだ後に評価される」というものがある。これはニッチな芸術の分野を研究していることが主な理由なのだが、その評価には上で書いたような「やる意義」も含まれている。この仕事に取り組むことそのものの価値判断さえ未来に任せるということだ。受験の類から家庭の事情まで何事も先送りにしてきた人生なので、今の本業に行き着いたのは必然かもしれない。どんな行動にも、ささいな逃避願望がある。それだけに「現在」へのアクションが私にとっては難しい。社会的なトピックがいざ目の前に実態として浮かび上がってきた時の話だ。本業の不要不急ぶりが後ろめたさを生む。 先送りにしないこととは、現在にやる意義とは何なのだろう。目の前のどぶさらいはリップサービス以上のものになるか?しかし、これを生理的に拒否したとして何かが変わるか。外を見てみれば、この宙吊りの思考から抜けるために、どちらか一方に舵を切る人が目に入る。内なる声が「そこまで単純化したくない」と言っている。 自分の生活、その中で生じる一つ一つの判断を積み重ねていくことしかできない。〇〇をすればいいという答えがあるものでもない。「スラックティビズム」という定義もあるが、一個人の寿命でできる活動は、その瞬間においては多くがスラックだ。 (20.9/18)
|
---|