ヒカシュー45周年記念ツアー@静岡フリーキーショウ

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殺人的な暑さの下、静岡を訪れた。観光客であふれ、朝から夜まで暑苦しい京都よりも風通しがよかった。とはいえ暑い。静岡駅から歩いて葵区の商店街に入り、ロックバー的な空間、フリーキーショウで開かれるヒカシュー45周年公演が目的であった。実はバンドを観るのは今回が初めて。

客演は地元のアーティストたちで固められた。村越健さんのサックスとAyameさんのMS-20と語りによる演劇「言触」に、竹田賢一さんが電化大正琴で加わる。竹田さんへは音楽にまつわる文章から入った人間なので、演奏者として対面するのは、これもまた初めてだった。大正琴そのものの鳴りなのか、電気で増幅したせいなのか、とにかく奇妙で繊細な音という印象。終演後に少しだけお話したところ、特に改造の類は施しておらず、エフェクターに繋いでいる程度とのことだが、そうなれば竹田さんの技、ということになろうか。怒って祝った言触の演劇は、毎日肌で感じているはずの現実に対して自分が何をできるのかという怖れと、それでも何かができるという希望めいたものの存在をちらつかせた。
 浜松で活動しているという、ちひるねさんはもともとバンドを組んでいたが、独立して弾き語るスタイルになったと聞いた。演奏はトチらないし、音が結構野太い。
かつてアルバムにレヴューを寄稿したチュウソツシスターズは3年近く観れていなかったが、今回はより劇めいたライヴの構成が確立され、新曲もあった。確立と書くと算段めいた響きだが、もっと無作為で、天然なんである。曲間の移動やサウンドチェックも劇の一部であるかのようにマイペースだった。のんびりしてるとかゆるキャラ的であるとかでなく、外のいかなる力でも邪魔できない時間を作り出していたんである。

感想一つ書くのにも自分を前に出すとは図々しい。だが、演者たち、とりわけフロントアクト三者の癒しがわが身に沁み込んだことを書かずにはいられない。個人的な苦しみを照射し、それがなかったことにはできないことをつきつけ、そのうえで痛みを和らげたといえばいいのか。言触で泣き、ちひるねで泣き、チュウソツシスターズで泣いた。肝心のヒカシューでは笑った(思いのほかMCも笑えた)。楽しそうという表現をあまり使わない自分にとって、ヒカシューの演奏は嬉しそうだったと忌憚なく書けるものであった。特にドラムの佐藤正治さん、出し切りすぎて翌日の演奏に響かないの?と思うくらいに。「アルタネイティヴ・サン」も「ゾウアザラシ」も「パイク」もあった。しかし、一番は昨年の新譜に収録されている「LA LA WHAT」である。この曲でうたわれる「情熱的な錯覚」が、この夜にはあった。錯覚であろうとも、私にとっては事実であり、今のところビンビンに生きている。


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(23.7/19)