派手に体調を崩して入院までしていたのだが、ようやくサイトを更新できるくらいまでに回復した。ずっと横になっていたので、身体を垂直にするのもぎこちなかったが、少しずつ外出を重ねたので早くに戻った。22日に会食をした記憶があるため、その時点でだいぶマシになっていたはずだ。 寝込んでる間に今回作った『AOR』の制作過程を振り返っていた。相変わらず執筆も編集もワンマンでやっているのだが、今回はChatGPTを使った校正をいろいろ試した。センテンス単位で投げて、重複しているところはないか、てにをはの不自然さはないか、などなど機械的にチェックしてもらう。人力でやらなくていいところはできるだけ楽をしたい。おかげで見てくれに限れば、誤字脱字の多さが自慢だった昔よりはよくなってきている。読みやすさと読んでのおもしろさとは大きく異なるため、絶対的な基準が適用できる過程のみ使用することにした。なので、最終的には印刷して、すべて自分でチェックする。丸投げするのも答えを鵜呑みするのも難しいし、何より校正の過程も喜びの一つに含まれているため、一任するわけにはいかない。 雑誌にはいつも簡易な英文を載せている。日本語文の要約をそのまま訳したようなものだが、今回は日本語文の要約をgptをお願いして、返ってきたものを自分で英語にしてみる形式をとった。字数の指定、文に残しておいてほしい事柄など、とにかく輪郭を自分で設定してやるとなかなかいい答えが飛んでくる。というか手間が省ける。英語のように「書いてないことは書いてない」な文章の世界では、条件を重ねないと思ったような文章は出てこない。とはいえ、訳してるうちに自分で加えたりして実際の作業量は従来とあまり変わらなかったのだが。日本語の英訳はやっぱり文面をそのまま訳している感じで、意味を訳してはくれていない。これが自分で添削する理由にもなるから、悪いことだけでもない。 日本語を投げた時、たいていは「短い文に内容を詰め込みすぎ」と返ってくる。自分の文章はまさにその通りなのだが、人間に同じことを指摘されるより気分がいい。「もっと膨らませてください」「もっと面白くできませんか」とかも言ってこないし。それくらいに、自分は外からの視線や声というものに敏感であると気付けた。自主制作とは閉鎖的な環境を志向しており、それは自分自身のためでもあるのだ・・・と。 他人を巻き込んだ方が大きな仕事ができるし、多くの人にリーチするというのは理解できる。だが、いかんせん自分の題材がマイナー文化かつ他人の研究に徹しすぎているので、やみくもに希釈して広めてもいい結果にならないのではないか、という念がいつも立ちはだかる。自分が一次生産者だったらまた違ってくるのだろうけど。
(25. 2/1) |
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