ゲーム評論といわれて思い浮かぶもの

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少しずつ90年代のゲーム雑誌を集めては読み返しているのだが、今のところ当時を思い出す以上の成果は得られていない。主な蒐集対象は『電撃Playstation』、『ザ・プレイステーション』、そして『ゲーム批評』である。いずれも98年前後のバックナンバーに絞っているのだが、『lain』が表紙の『ザプレ』vol.128だけは一向に見つかりませんな。安い買い物ではないので、もうそろそろやめるだろう。
 前者ふたつの雑誌は『ファミ通』と同じように、カタログ的役割を果たしているため、中身は当時の最新作特集がほとんどである。合間に、あの書かれた文字が読めないくらいに縮小したサイズで掲載されるハガキコーナーと、ちょっとしたコラムめいたものが少々。
『ゲーム批評』は批評誌という固いものではなく、「ゲームを介して、そのゲームを遊んだ人間の持論を載せる場」という印象が強い。いざ読み返すと、ウェブ上の書き込みっぽさは記憶以上であり、言いっぱなしな読者投稿欄は今日のtwitterっぽく見えてしまった。毒舌・辛らつ・内輪な話が多いのは記憶通りであったが、実は『電撃』のマンガ(ポリタンとおねえさんのアレ)も、方向性自体はそれほど変わっていなかったのだと同誌を眺めていて思った。こうして、皮肉と冷笑が共感を得やすかった90年代のある意味で楽観的?な空気が堪能できた。もっとも、これらが過去であるからこそ受け入れられるものではある。リアルタイムで金払って読みたいかって言われると・・・。

雑誌類と並行して、当時から先5年までに書かれた、所謂ゲーム評論のテキストをウェブ上で探している。この時代でいえば、やはり「ゲームを語ろう」の沢月耀さんや井上明人さんの論考が光る。特に井上さんが大学在籍時代に書いた論文は、「ゲーム性」という語の曖昧な性格を指摘するものであり、書き手と読み手に注意深さを喚起させる内容は今日でも有効だろう。論文内で例示されているように、『ゲーム批評』誌で濫用されていた同語の解釈が、当時のゲーム評論の分水嶺的役割を果たしている。『ゲーム批評』(メディア)が放棄していた仕事を、ウェブに住まう一プレイヤーたち(ストリート)が担っていたと、今なら言っても許されるだろう(もちろん、セガBBSから2ちゃんねるといった各掲示板の存在も大きかったとは思うが)。実にインターネットらしい話である。ここまで名前を出してきた人の更新が活発であったのは98年から2002年あたりであり、私がインターネット上の表現全般に触れ始めたピリオドであることも相まって、特別な体験であった。当事者としてこの現場に間に合わなかったという感覚が、今日の私を駆動させるものであるということもまた、間違いない。それをふまえると現役というか通常運転を続けている『指輪世界』の伊藤悠さんが怪物に見える。

私が初めて他所の同人誌に参加したのはビデオゲームレヴューの合同誌であった。最初にミニコミやフリーペーパーを作り出したころもひたすらにビデオゲームについて書いていた。しかし、書いていたものが「ゲーム評論」かと問われたら、ノーと即答する。『美術手帖』などでよく目にするハイパーメディア的な切り口でもなければ、ビデオゲームの(ひいては遊びの)構造についてのそれでもなかったのだ。それは今でも変わらない。それではなんだったのかというと、ただの感想文の域を出てはいないのは承知のうえでいうなら、沢月さんが『ゼノギアス』に対して書いていたテキストが近いものであった。それは文学としてのビデオゲームに対する思考だ。そこで綴られているものが物語であるかどうか(=ビデオゲームは物語たるメディアかどうか)という前時代的な問いはとうに通り抜けて、それが受け手に対して物語として機能しているのか、という問いかけを自分に対して行なっているのだと思う。つまり、これは受け手自身の話へと帰結する。ビジュアルノベル形式のゲームが一つの流行になっていることは、こうした感覚が作り手・受け手問わず強くなってきていることを暗に示しているのではないか。物語を受け取ること、そして自身を物語化すること(実体験をプロットにしたストーリーも多い)の欲求めいたもの。

ビデオゲームでも音楽でも、結局は対象となる芸術がいかにして自分と結びついたかを書けなければ、他人はもちろん自分自身にとっても不誠実なものとなるだろう。正直さとは、整合性や論理の完成度、書き手/作り手の「愛」などという曖昧なパラメータ群すべてに優先する。少なくとも、これらは正直さのオマケ以上のものにはなれない。正直さからできあがった文を批評と呼ぶかどうかは受け手に委ねるしかないし、それは書き手本人とってはさほど重要ではないはずだ。少なくとも私にはそうである。人は神になれぬのだよ(カレルレン)。


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(23.1/21)