ようやく雑誌『FEECO』が完成した。編集段階で見落としていた恥ずかしいケアレスミス(重版時には訂正いたします)を除けば、内容は綺麗にまとまったと思う。しかし、取り上げている作家たちがマニアックすぎるのもあって読者諸氏からすれば内容がまとまっているかどころか、情報の判断自体に困るだろう。つまり、この雑誌に書かれている情報が基準になってしまう。それだけに責任は重大だった。 1. 5年以上先のことを考える 優れた批評は小説になる、とはザ・レジデンツについて書かれた『踊る目玉に見る眼玉』を読めば明らかである。が、今の私にはそんな鋭く、可笑しい文章を書く力はついていない。時間をかけて磨き上げていくとして、終着点はそこではないとも書いておく。私のやっていることはレビューやクリティックではなくアーカイヴ、歴史の整理と実証である。むしろ上に挙げた二つを行なう人々のために作っているとも言える。私は事実にしか興味がない。何故ならそれは、どんな小説や予言よりも奇妙で、楽しくて哀しくて、尊いから。アール・ブリュットの作家たちの絵画を保護したり、怪奇小説の復刊を続けたデヴィット・チベット、商業的成功をソレとは無縁の者たちにつぎ込んだり、古典の再発に勤めるミュート・レコード、風化しかけている文化を人々の前に連れてくるボイド・ライス・・・私が彼らについての本を作っているのは、決して手がける作品が良いという理由に限らない。 微々たるものだが、私の残したものが他の誰かの試みに役立てるならば、それ程光栄なことはない。ただ一つ要求するならば、記された当事者たちへの敬意を忘れないで欲しいということ。彼ら彼女らを鏡のように扱う不誠実さには自身も含めて注意していきたい。 こう意識し始めたのは一体いつからなのだろう。ただ一つ確かなことは、生来私はお喋りなタイプではない。語り合うより書き残して去っていくタイプだ。遺言状を書く機会があったら、臨終する直前まで書いているだろう。現に(?)飛行機と高速バスに乗る時は遺書を書くことにしている。 理想の本は先ほども挙げた『踊る目玉に見る眼玉』、『ポストパンク・ジェネレーション』、『MAD』の日本編集号、そして90年代後半までのヴィデオゲームの攻略本とウェブ上に存在していた個人サイトだ。もちろん、上記の本を日本へと輸入した訳者・編集者たちも忘れてはいけない。こうした人々は表に出る機会が未だに少ないし、この生業の宿命なのかもしれない。ますます私に向いている仕事だと思う次第であった。 (18.2/15) |
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