引っ越しの合間に『ドラゴンクォーター』を遊んでしまう

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引っ越しに乗じて色々と買い物をしてしまった。本棚も机も自分の要望に沿うものがなかなか見つからないので、ダイソーなどで木の板を買い集めて自作。いつでも引き払えるようにバラしやすいから何かと都合がいい。今から解体するのが楽しみなくらい。これはいい買い物だった。
いいけど、それ以上に悪い買い物が薄型PS2だった。中古とはいえわざわざ自分でゲーム機買うなんてほぼ10年ぶりである。2011年に東京へ引っ越した時にドリームキャストを買って以来の暴挙。だが誘惑には耐えがたく、荷物の移動の合間に起動させては時間を捨ててしまっている。最近までは一人で何かに集中すること自体が難しかった。暖かくなるまでは少しだけ寛容になってほしい(誰にや)。
 ほぼ10年ぶりに『ブレスオブファイアV ドラゴンクォーター』(ドラクォ)を遊ぶ。数年前にも遊んだがあれは軽く触る程度だった。今回のプレイ時間は総合で50時間ほどで、かなり濃密に遊んでしまった。やりこみ到達点(縛りプレー抜きにして)D値1/4までいっちまいましたよ。そんなことをしている場合ではないのに。

結論としては時間の無駄だったが、好きなタイトルであることを再確認できたから、まあ良しとしよう。今遊んでみるとなかなか穴の多いゲームデザインで、やけに入り組んだ敵の特性やトラップの使い方など、チュートリアル的な要素が少ないのは仕様なのか。とにかく、このゲームの醍醐味は良くも悪くも「初見」にあり、そこで離れていってしまう人も多かったと思う。シリーズがこれを最後に途絶えた(スマホゲーで『6』が出たらしいが)のも、まあ納得である。アイテムの補給ができる街にいつたどり着くか、この新しい敵はどんな攻撃をしてくるか、などの不安をやり過ごした時のカタルシス、というか安堵が、先行きの見えないインダストリアルな世界観とマッチしているので個人的にはまだまだ鑑賞に堪える。イベントも明るいシーンはなく、カエルの干物みたいにやせこけたキャラクターたちの悲愴感も、このゲームが自分のホームグラウンドたる所以である。しかし、「アイテム使い放題」「コンボを重ねるより単発攻撃の連打の方が強い」などの仕様は、シビアなそれと釣り合っていないように感じて、記憶以上に陳腐な印象が強かった。でも、経験値持越しのSOLから何から、すべては最初のクリアのためとするなら仕方ないのか。もう20年前のゲームだし、自分も相応に歳をとった。シナリオに関連付ければ、「すべてはプレイヤーにクリアさせるためのプログラム」と考えれられるし、安易ではあるがそのおかげで腑に落ちる。
自分は2003年からアーケードゲームの世界に移っていった。その後ももちろん色々なタイトルをコンシューマーで遊びはするのだが、ネット上で情報を共有して、それを確認するように遊んでしまう機会が多くなった。だから『ドラクォ』は旧来の遊び方から変わっていく直前に触れた最後のゲームだったのかもしれない。

制作が締め切りに追われていたのか、シナリオは全体的に説明が足りてない。そして、その虫食い具合に居心地の良さというかノスタルジーを覚える。従来のシリーズには一切ピンと来ず、『ドラクォ』だけ好きという典型的友達いない系プレイヤーとしては、ラッキーな出会い方をしたものだと思う。作ってる側は新規開拓を期待していたとは思うのだが。

地下都市、「プログラム」としての主人公、おまけに治安維持組織などなど、弐瓶勉『BLAME!』から案をいただいたとしか思えない設定だらけなのだが、ガイナックスの『グレンラガン』に影響を与えたという説を是とするなら、もうちょっと注目されてもいいタイトルだと思う。同じ年の『THEビッグオー』2期の結末も、筋書きと演じている人の人生は異なる、というテーマだった。当時はまだ『エヴァンゲリオン』へのアンサー、といった作り方または受け入れられ方が有効だったのだろうか。
鬼束ちひろのテーマ曲も、この人はこれしか知らないが、いい。これがただのノスタルジーなのはわかっているが、かつてのインターネットのような文章を置いておきたくなったのである。暇ができたら、海外版とのセリフの相違でもまとめてみようか。

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(21.2/28)