無気力日記 part2

日々感謝、日々落胆、日々...

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暑くなってきた。4月から忙しかったのもあって、月日の早さにやや驚いている。去年の今頃は人前で話して、静岡に行って、あと...そんなもんだったか。今年は秋に大きな用事が控えているのだが、それまでは特にないため、ひたすらお金を稼ぐくらいしかやることがない。シンプルで取り組みやすいが、窮屈でもある。息抜きというかメリハリをつけた時間を組まねばならない。昔から苦手だったことだ。

金、ひたすらにそのことを考えるようになったのはド貧乏で頭がおかしかった数年前からだが、そのおかげで今がある。今でもしっかり金はないが、昔との違いはその大切さを知ったと言えばいいのか。知る過程で色々問題が起こり、失ったものを挙げるとキリがない。しかし、今以上に幼いまま30歳になってしまうよりはマシだった・・・と信じたい。困ったことに調子が持ち直すと、今度は悪かった時期を悔やんで、意味のない後悔を重ねるようになる。酷い時は10年前にまで遡るのだが、当然どうしようもない。意味もなくため息をつくのと同じで、もはや癖になっている。気にするだけ無駄なのだが、周りは自分と同じように受け止めてくれるとは限らない。

金への執着が疲弊を生むのは当然だが、それ以外のものを欲しているかと問われると少々回答に悩む。ヒーヒー言ってるのは望んでのことなのかもしれないと思う時すらある。生まれてこの方、目的を達成したことがなく、中途半端な挫折くらいしか経験がないので、ポジティブな展望を抱くことに慣れていない。マイナスに依存するのは昔から得意だったので、状況の分析に長けていないのだ。
受験勉強などを通過していると、眼前の目的に対して取り組む力が付くのだろうが、卒業の4か月前に進学することを決めた人間なので、妥協と逃げには定評がある。

辛いのは最初だけ、100円を1万円にするよりも0円を100円にすることの方が難しい。自給自足スタイルになった当初は、これを痛感しながらお世話になりっぱなしとなり、現在はなんとかアルバイト並の所得ではあるが生存できている。自分にしては上出来だと思うのだが、周りから見れば常軌を逸していると思われることもしばしば。今更矯正する気はないので、このまま行ったりますよ。

そんな私ですが、書いた本を買っては読んでもらえることには大変感謝しております。続編を出す理由が出来たのも嬉しい理由で、明らかに以前よりも進歩しているのがわかる。嬉しく、前向きになれる一方で先に書いた意味のない後悔も噴き上がる。相反する感情は常にセットである、という検知は今回の本を書いている途中で何度も目にして、考えたテーマだった。これは健康的な状態なのだ。少しずつ自信が重ねられている最中である。そう信じたい。
今回の本に限らず、マンガや音源、意味のない何かを作る上でも進歩が感じられるようになりたい。それはクオリティを上げることよりも、続けることの方が重要だと考えている。週末の余暇、金のかかる娯楽で済ましたくはない。河原で石を積み上げる苦行であり、自傷による自浄でもあるのがスイカズラだが、それだけではないと言えるようになりたい。ああ、それにしても金が欲しい...


(16.5/25)

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