DEVIL MAN cry baby メモ  2018 2/4完走
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リアルタイムでアニメを見るなんて何年ぶりだろう。毎週同じアニメをチェックするなんて・・・とか思ってたら、Netflixで1シーズン一挙配信だった。流石に一気に見る時間はないから、トロトロ見ていこうと思う。ザッと説明するとあの『デビルマン』を原作ベースでアニメ化したものらしい。OVAで出ていたやつは頓挫したとかで、まともに完結したものはないそうだ。道理で、見たはずなのに結末が思い出せないわけだ。監督は『マインド・ゲーム』の湯浅政明、脚本は『コードギアス』の人らしい。
※「『ウテナ』は幾原邦彦氏だろ」、「クレヨンしんちゃん見てないんすか?無能ですね」などのご指摘をいただきました。
あまりの浅学ゆえに『少女革命ウテナ』を湯浅氏の仕事と勘違いし、確認もせずに記述していた愚行をここに訂正いたします。
要は知識ゼロに近い状態で『cry baby』に臨んでいるため、下記の感想もその旨ご承知の程、よろしくお願いいたします。
第10話 泣き虫  2018 2/4

ラストの了がクライマックスであり、『クライベイビー』だけが持つ答えなんじゃないだろうか。こうしないと作り直す意味がないんだって。くどいくらいに用いるバトンタッチのくだりや、カッターナイフとマシンガンを振り回していた了と素手であり続けた明。これらの丁寧過ぎる描写のおかげか、これ以上腑に落ちる終わり方は描けないんじゃないかすら思う。解釈を楽しめるほどの頭と寛容さがないので、作者の主張をセリフで説明する作品が好きな私にとっては、ここ数年で触れたどの作品よりも親切だったぞ『クライベイビー』。世紀末を描いた作品ではなく、その先があることを描いた物語だった。人間が死滅しようが人生は続いていくらしい。

総評としては、自分に合わないタイプの作風(と絵)ゆえに見直すとまではいかないけど、作られる必要性があったのは間違いないと思う。時間を無駄にしたなんて一秒も思わなかったよ。海外の反応はどうなんだろう。オレの記憶の底に埋もれていく前に、どんな時代の、どんな人が『デビルマン』をどう受け止めたのかを知らなくてはならない(了の声で読んでね)。原作が生まれた時代と違って、今はそれが出来る。


第9話 地獄に堕ちろ人間ども  2018 2/4

デビルマン宣言は糸井重里っぽくて見てて恥ずかしかったのだが、全世界向けの作品でこういうメッセージをあの描き方で行なうことにも強い意義があると感じた。この作品は単に出来が良いものを目指して作られたわけではない。「オシャレに描いてれば受けるだろ」なんて浅はかなマーケティングが本質であるわけもない。つくづく「トラウマ的興奮」みたいなコピーで損していると思うんだけど・・・。私は美樹の魔女宣言の方が先のSNSでの発信よりもグッと来た。これは原作でも見られたものだが、あれもネットを介した声とツガイにすることで現代らしくなっている。再現ではなく再構築、サタン的に言えば再臨でいいか。

卓球と旅人「今夜だけ」、物語の盛り上がりと相まって過剰に響いているのはわかっているけど、これを超える曲、というかこれと同じ軸にやってくる曲が今年あるのかなと思うくらいに、良い。感情だけを渡して情景をこちらで描かせるような、英訳しないと嘘でしょう。映像とマッチしてるのはもちろんですが、是非何も見ずに、歌以外耳に入ってこない場所で聴いてみたいね。

第6話 悪魔でも人間でもない 第7話 人間は 第8話  2018 2/4

この話から一気に最期まで見た。

ストーリーの節目になる6話から一気に話が進む。昔だったら、人間とデーモンが逆転していく過程をネチネチ描くんだろうけど、そうした日本らしい手法は今回取られていない。ディストピア(使い方合ってるのかな?)的な設定はそれだけ豊潤なディティールが、空白を想像で補えるだけの余地がある。都市のシンボルが109(909になってた)というのは古臭いかもしれないが都会はそういうものらしい。
バカを告白しますが、幸田のことを忘れていたので、ヒップホップ連中の一人だった彼がデーモンになったんかと勘違いしてました。彼についてはアパレルで勘違いされた事件以来一切言及がないんだもの(つーか気にしてるやつが喋らないキャラ)。
明以外のデビルマンが登場した、デーモンの存在が判明したという二つのイベントが出た6話は面白く、何度でも見られる。パニックを演出する時にはSNSの描写は避けられないんだろうけど、いつになったら恥ずかしくならずに見られるんだろう。自分は何かあったら即シェアするっていう世界からは(普通の人よりは)距離を置いているため、そこにリアリティを感じられないのが不思議かつ面白いのだけど。
了の芝居がかった喋りはまんま『コードギアス』だった。

私は不純なので太郎君がお母さんや美樹と・・・みたいなことを考えてしまっていたのだが、ストレートな意味で母親を食べてしまっていた。クリスチャンという設定だったからつい。明の時と違って第三者がトドメを刺してしまうのは牧村父がエキストラだからだとは思えない。

第4話 明、来て 第5話 シレーヌ、君は美しい 2018 1/9

とにかく展開が早く、原作及び当時のマンガっぽくて気持ちがいい。デーモンと戦ってる一方で次の話の露払いも出来ている。明と親のエピソードがほぼ回想だけなのは牧村家と対照的で、メタファーだらけな本作らしさがある。ジンメンをモデルにしたデーモンが出てきたが、原作との差別化を図ってか演出はあっさりしている。母親にとどめを刺す(ように見える)くだりも、くどいくらいに引き延ばしがちなところをサクッと終わらせていて、緻密な作画でゴリ押しする日本っぽさがないため新鮮だった。ほとんどのデーモンのデザインが簡素(手抜きという意味じゃなく)なのも無関係じゃないないだろう。
サバトで会話してる時のミーコが可愛かったです。ラップのくだりをきっかけに、英語字幕付で見ることにした。

5話は天井にぶちまけられたザーメンが面白すぎて何度も見てしまった。『エヴァンゲリオン』の例のシーンをネタにした二次創作まで思い出しました。風俗街に行くのはいいとして、コンビニのエロ本コーナーで発情するくだりもあったら完璧だった。了の秘書が正体モロ出しだったり、シレーヌだけ喋り方が原作もとい昭和すぎて笑ってしまった。でもセリフはほとんど原作準拠なんだね。家族愛(とそれの不在)、同類またはエイリアン(異なる世界の住人)の感情移入と愛のパターンを描きまくり。後は近親間でのそれくらいだけど、やるんだろうな。残りも一気に見てしまおうか?

第2話 片手で充分だ 第3話 オレは撮ったんだ! 2018 1/9

アクセント程度かと思っていたら、エロスは主題の一つらしい。あどけない子供の太郎がネットで検索(ログイン画面のアイコンがマグリットなのはなんで?)して裸体を眺める、美樹をライバル視している陸上部生徒(こんな書き方でゴメン)のオーガズムなどなど・・・まさか最終回で了と明がセックスしないだろうな。牧村家がクリスチャンという設定も、エロスによって生じる矛盾をもって物語を大きくするためのギミックなんだろうけど、海外に発信しやすいテーマとしても取り上げたように思う。どうやって着地させるんだろう。
『デビルマン』が既に存在していた設定なのは面白く、リメイクというよりリモデルといった感じかな。アブちゃんが歌う「デビルマンのうた」がちょっとハイエナジー風なのはイタリア版のオマージュか。
劇判は如何にもなテクノ、都会の隣(川崎!)に生きるヒップホップな若者、度々出てくるドラッグ描写あたりが90年代的。これをありがたがれる世代でもないので、ちょっと古く感じてしまうかな・・・。終盤にクラシックとかガンガン流れたらどうしよう。
とにかく話のテンポが早くて、3話の戦闘シーンは良かった。裸で壁を這い回る美樹(を乗っ取ったデーモン)が面白かった。

第1話 おまえが必要なんだ  2018 1/5

まず真っ先に思った、いや思い出したのが「湯浅作品と自分は相性が悪かった」こと。『マインド・ゲーム』も『ウテナ』も見て、損したとか一切思わなかったけど、見返しはしなかったから自分の中ではそういう位置だったんだと再確認した。

『デビルマン』って掘り下げられている部分とそうでないもののコントラストがハッキリしていて、そこの表現は手がける人によって凄い差が出ると思う。その例の一つが冒頭の子供時代のシーンだと思うのだけど、やっぱり了と明の関係を主題そのものにするのかな。二人の距離が(物理的な意味でも)近いのは女性向に傾いてるとかじゃなくて、ラストの展開を補強するためなのだと思う。サバトの性開放描写はもちろん、美樹のエロチックなボディラインの描き方も、エロスとタナトス的なテーマあってのものだろう・・・自分の中では「平成らしさ」にすらなっちゃってるヴィジュアルに抵抗がないわけではないが。とにかく、そんな原作の余白部分に埋められる、または肉付けされるピースこそ『cry baby』の核なんだろうかと1話の時点で適当に考えてしまった。それほど『デビルマン』は自由にできてしまう作品で、作り手の解釈を吸収して変容できるものなのだ。
「サバト」というワードは原作でもあった気がするけど、今風のレイヴ(っぽい)になってた。ドラッグやエロ表現はNetflixの方がやりやすいだろうから思い切り出来たという感じだけど、80年代のOVAってどんなBGMだったっけ。

原作をそのままハイブリッドな絵にしただけだったら『墓場鬼太郎』みたいに違和感が浮き彫りになるだろうし、監督と時代に即したアレンジをしていくのが正解なのは間違いない。設定を変えないままコピーする『ドラゴンボール』みたいになっても誰も得しないだろうから。「トラウマ的興奮」とか「原作ラストを再現」などのコピーで相当煽ってるのは、原作を知っている人に向けて作っているということかな。シナリオがテンポ良く進むのは見ていて気持ちが良いけど、ひたすら「ラスト」のカタルシスに備えるようなリードの仕方は勿体ないと思わないこともない。いやいや、1話の時点で何を言ってるんだという話ですが・・・。

音楽はagraphこと牛尾憲輔、主題歌は電グル、ゲストでKEN THE 390や般若がヒップホップな若者で登場。まさかこいつらが牧村邸で死んだりするのか。それはそうとして、違和感を狙っているわけではないと思うのだが、微妙に意思疎通できてない采配が『オーガス02』あたりの作品を連想させる。牛尾氏は『ピンポン』からの続投だから自然だけど。後にスペシャルエンディングとして流れるらしい石野卓球と七尾旅人による曲が楽しみだ。