Delphine Doraツアー at environment 0g

ツイート

デルフィーネ・ドーラの作品で唯一所持していたのが2018年の『L'Inattingible』。あとは昨年リリースされたことだけは知っていたアンドリュー・チョークプロデュースの『As Above So Below』と、先日Modern Loveから出た新譜についての情報のみである。二作とも、この文章を書いている時点では聴けていない。
 シンセサイザー(型見るの忘れた)のまどろんだ和音だけならばニューエイジ風などの一語で矮小化されようものだが、エフェクターを介してその皮をはぎ取られた音がノイズへと転化していく。ロバート・ヘイのストイックさがなぜかこれ以上なく叙情的であるように、ドーラのスケッチ的な音、その種々の断片にもデカダンスがあった。この部分をもっと聴きたかったが、すぐに主題が声となって復層からなるドローンに至る。

声が他の音と統合されて一本の音響に至る(ように聞こえる)のは、共演したFUJI YUKIや宮岡永樹にも通底していた。FUJIのヴォイスはディアマンダガラス的な過剰さとも、ルクレツィア・ダルトが過去に作品で見せていたマテリアル化の徹底ともつかぬ簡潔さがあった。
宮岡さんのハーディガーディとボイスは(機材見てないけど)ルーパーでかえってきたものに対して、自身が応答するというものだった。高域の強い銅鑼の音が他を洗い流すことで一連の儀式めいた時間に区切りをつけた。

しかし、この日もっとも驚いたのは初めてライヴを体験したばねとりこであった。妖怪をモチーフにした音、というよりもそれを身体的にもなぞる方法は、抽象的な過去のイメージに自らの音で色彩をつけていく冥丁とは似て異なる「日本」の表現だった。ケルトの妖精たちを想像し、過去と自分の神話的つながりを創造するパストラルな憑在論音楽、これぞその日本バージョンではないか。音について説明すると、具体音をひたすら重ね、いびつだが連続するハーモニーでトランシーな感覚を生み出すものである。The New BlockadersとOrganumは連名でノイズを作っていたが、あらゆる属性への依存を拒むTNB的無記名性と、やがて声明や尺八に端を発する東洋への傾向を見せたOrganumの音楽性が単身で表現されている。ここで鳴るノイズは、個人の情動を垂れ流すのではなく、自分と外にある何かとの繋がり、物証的なそれではないもの=日本のオバケたちへの呼びかけであった。


戻る

(24. 5/5)