カプセルホテル使うと自分を省みることが多い

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3月は2回カプセルホテルを利用した。歌舞伎町と梅田の二箇所で、どちらも何度か使用している物件なので慣れたものである。アラームをOFFにしないでロッカーに時計を入れておく人の心理が知りたい。

はじめてカプセルホテルを使ったのはいつでどこだったか。京都に住んでいて、東京でやる即売会か何かの前乗りで新宿区役所前のあそこに泊まった時かもしれない。案外コミティアか。ともかく、もう利用に慣れているからいえるのもあるが、安価で寝泊まりできる以上のことを求めないので、それぞれのホテルの設備などをてんびんにかけるようなこともしなくなった。利用者のことも考えなくなり、施設にいる時もいま自分がどこにいるのか気にかけることさえない。充電して、寝ることだけを考えている。使い始めた当初は、深夜高速バス利用時にはじめてサービスエリアで降りた時のような、舞台の楽屋裏を見たような気分になって楽しかったものだが。ホテル内のラウンジスペースに集う人々を世の中の縮図がごとく大げさに受け取めていた向きもあったが、慣れてしまうとただの思い込みにすぎないとわかり、そんなロマンチック(?)な視点も失ってしまった。

ただ、いつ使っても同じような利用者たちがいるからして、昔のことを思い出すきっかけになる。たとえば司法試験を受けるために上京してきてラウンジでも勉強している人や、出張の交通費を浮かすためと思しきサラリーマンなどはどこにでもいる。この間も見た。わたしは昔でも今でも型にはまれない流れ者気質だからか、他人が自分と違う世界にいるかどうかはすぐに判断できる。ああした人々と比べれば、所得から社会的な信頼まで自分は悪い意味で天と地の差があるけど、なるべくしてなったのであるから今さら不満もない。たいていの職業、いや何かしらを行う条件というのは得るだけで賭けや競争に勝っている。こんな風に省みることができるだけ運がいい。その運を自覚しないまま他人をとやかく言うことだけは避けたい。

何度も書いていることだが、わたしは自らの口で自分の仕事を説明することは、まずない。名刺も持たないので、相手から渡されても「お返しできるものがなくすいません」でごまかしている。他人から他人へ紹介されるときは音楽ライター、ジャーナリスト、研究家、出版者いろいろあり、どれも正解だろうし、自分も「そんな感じです」で終わらせている。しかし、自認しているかというと首肯しかねる。まるでドーナツの輪のように、上に挙げた職業に属す他人と並べた時に自分の輪郭が作られるといえばいいか。
こういう人間は珍しいとか独特ということばでフォローこそされるが、逆に言えば秀でて印象に残るものを持っていないことになる。じじつ、わたしは面前で出てくる仕事(=商業出版として書店に流通していたり、メディア上に文章などを発表すること)がほぼない。我執があれば外の世界にひっかかろうと多少はもがくものだし、そうしなければ食い扶持に困る。しかし、今なお、書いた本やここのような痕跡以上に多弁になろうという気にならない。それら以外で他者と繋がる手段を知らない、ともいえるか。むしろ相手の話を聞きたいと思うタイプなので、結果として腹の底が見えない輩に思われてしまうやもしれぬ。愛想笑いで相手に合わせるのは派遣の仕事中だけで十分のはずが。
つい最近久々の対面取材をしたが、慌てながら話す自分が、まるで派遣の業務の説明ようによそよそしいものでなかったように祈るばかりである。殻をまとったまま外を歩いても、それは世界と繋がっていることにはならぬ。カプセルホテルがなんだか人生の暗喩に見えてきたが、その中でも他者を使って世界と自分を相対化しているのだから症状は根深い。


大浴場があるところはイイネ

(26.3/17)