|
野中モモさんの『デヴィッド・ボウイ -変幻するカルト・スター-』増補新版を買う。2016年の逝去以降の動向については2025年までレンジが伸びているほか、他章にも加筆があるため旧版を持っている人も是非買うことをお勧めする。 ボウイは常に興味の対象を増やし、その思索を音楽やヴィジュアルに置換してきた。言い換えれば豊富なパターンの暗号を用いてこちらに発信し続けてきた。思索は自分にはわからないことがあるという告白であり、その疑問が暗号または呪文としてボウイのアートになる。アクセスしにくい事柄および世界への入り口になるのがアートの役割とするなら、ボウイが手がけたあらゆるものがそうである。だが、それは本当に入り口でしかなく、結論まで導いてくれるようなことはしてくれない。これが先に書いた、通史を書くことの難しさとして返ってくる。 わたしがボウイの存在を実感したのは、月並みだが音楽の世界でインスピレーション源とされ続けていることになった。QUEENやトレント・レズナーとのコラボレーションはあくまで曲どまりの関心であったが、サイモン・レイノルズ『ポストパンク・ジェネレーション』がすべてを変えたといってもいい。あの本の序文では、とりわけベルリン在住時代のボウイとイギー・ポップ、そして当時彼らをプロデュースしていたブライアン・イーノの重要性がくどいくらいに主張されていた。音楽として表出した結果ではなく、その過程に含まれている幾多ものアイデアや知識を探す習性は、同書のボウイをめぐる文章に育てられた。ジャーマン・ロックもアレイスター・クロウリーも、ボウイのような回路がなかったら「なんとなく知ってる」レベルで終わっていただろう。そして『ポストパンク・ジェネレーション』を日本語訳したのはほかの誰でもない『変幻するカルト・スター』著者の野中さんである。この本が書かれるのも、わたしが手に取るのも必然、と考えることがボウイ式暗号への回答となった。 本とは関係ないが、はじめてベルリンに行ったとき(ボウイが没した年であった)に外で人を待っている間、手元のスマホに入れていた「Heroes」を再生したことがある。小雨が降っていて、フィクションのワンシーンのようだった。スティーヴン・ステイプルトン(Nurse With Wound)にインタビューした時は、「イーノと組んでからは好きじゃない、『Hunky Dory』の「The Bewlay Brothers」が好き、『★』もイマイチ」と話してくれたが、世の新譜にまったく興味のない氏が『★』に手を伸ばしていたのは意外かつ良い話だった。 (26.2/3) |
|---|