David Bowie ★は道を照らさず

『★』


本人よりも、その影響を先に知ることは多分にある。ことデヴィット・ボゥイに関しては音楽に留まらず、あらゆる分野にその姿が映り込んでおり、作り手本人の告白や、取り巻くファンたちの指摘によってボゥイからの引用を知る機会が多かった。初めてボゥイ本人を(画面越しに)見聞きしたのはクィーンと共作した「アンダー・プレッシャー」の映像で、フレディを偲ぶコンサートに参加した際のものだったと記憶している。過去の仕事を辿るきっかけはジョイ・ディヴィジョンの前身、ワルシャワがボゥイの楽曲から名前をとっていたのが理由だったが、彼らに限らず多くの表現者の源流であることを知るのも同じ時期だった。音楽以外で例を挙げてみると、幼少期から今まで遊んでいる『MOTHER』、『メタルギアソリッド』といったビデオゲーム(こちら参照)、マンガや現実におけるファッションでも「端正」、「妖艶」といったアイコンのお手本としてボゥイがモデルにされている事例は多く確認できた。

とはいえ、如何に引用されていると言ってもボゥイから『MOTHER』や『メタルギア』、それどころかジョイ・ディヴィジョンで得たような感覚をそのまま受け取められるほど鋭い人間であるはずもなかった。当然と言えば当然なのだが、表面的な意味でオリジナリティとかいうものを求めてしまうのは悪い癖なもんで(だから私はサンプリング、モロ使いといったものが大好きなのだ)、ボゥイは良くも悪くも古典であると自分の中で一旦完結させた。この認識が変わり始めたきっかけは『ポストパンク・ジェネレーション』だろう。これは英国のジャーナリスト、サイモン・レイノルズによる著作の邦訳で、ポストパンクと呼ばれる音楽のルネッサンスをまとめた名著だった。ここではアイデアの源泉と進歩のアイコンとしてボゥイが度々登場する。具体例を挙げると、クラフトワークに着目し、やがて到来するシンセサイザーを筆頭としたエレクトロニクスの時代をいち早くキャッチしていたことが象徴的だ。序文でも「最大のディレッタント」と讃えられ、ルックスから音楽、言動までことごとく引用されていた御仁。音源そのものでなく、それを取り巻く環境を虫食いながらも調べていくことで浮かび上がるボゥイの画。最もヴィジュアル的に感じたのはベルリン三部作と呼ばれている一連のアルバムで、これらのサウンドとヴィジョンの繋がりはまさしくポストパンクのバンドたちから受信できたものに近かった。特にヨーロッパのものが好きだった自分は尚更ボゥイのピークの一つに数えられるこの七〇年代後半の作品にデジャヴを見た。それは体験していない過去を更に遡るものだったのだが、それ故に美しいヴィジョンを生み出すことに繋がった。過去を美化した例の一つであるが、それは想い出を辿るものではなく、見たことのない風景に抱く憧れとも言い換えられる。少し前に聴いたジョイ・ディヴィジョンといったバンドの持つ冷たさが、『ロウ』や『ヒーローズ』から続いていることにようやく納得がいったのだった。更に気になったことはボゥイもまた外からの影響をいち早く咀嚼する人物だということで、彼がインスピレーションを受けたものは、後の世代のそれと共通していたことでもある。彼らはボゥイを通じて、様々な文化にアクセスしたのだ。オリジナリティという曖昧なものより、サンプリングする精神の方がよほど意欲的だと感じる自分にとって、この事実は心強いものだ。そしてボゥイの才能はここで、彼はインプットとアウトプットの精度が非常に高かったのだろう。映画のサウンドトラックのように、音とイメージ、コンセプトが密接な関係にあった。曲だけでなく、そのテーマにも関心が行くように仕向けられているように感じた。その中でもジギー・スターダストやトム少佐といったペルソナが入り乱れるボゥイは変身願望という、誰もが多少は持ちえるものを美醜問わず掘り出している。それは夢を叶えるための励ましというよりは、現実を切り抜ける術として人を前向きにさせる。

ボゥイが源流であることを以前よりは理解できたが、それでも現役という認識は薄いままであった。現に、自分が最初に知った時は『リアリティー』ツアー中に倒れた後で、ほぼ過去の人扱いしていたのも事実だ。しかし、2013年の復活作『ザ・ネクスト・デイ』は大層素晴らしく、自分はここに来て初めてボゥイに触れたと言っても良かった。如何に偉大でも、過去の人という認識で終わっているアーティストを自分はたくさん知っていたし、別にそれでも良いと思っていたのだが、楽曲の出来から時代に対する姿勢含めて、とても綺麗に着地していた『ザ・ネクスト・デイ』の一連の動きを見ると、ボゥイはそういった過去の先駆者たちよりも一段上と思わざるを得なかった。コンセプトアルバムという、ストーリーを持って作るフォーマットが今日では特別ではなくなったことを示すかのように、まばらな構成だった『ザ・ネクスト・デイ』だったが、それでいて曲は流行を(この時点では)無視した佳曲に恵まれていた。単純に現在の自分に出来ることに取り組んだ淡泊な印象すら受けるが、そこからはヒットを出さねばならない大御所の義務感を感じることはなく、実にスマートだった。特に表題曲、「スターズ」、「ウェア・アー・ウィー・ナウ?」は20年前あるいは後でも同じ鮮度を持ち続ける。そんな気がした。過去の積み重ねがあるからこそ長い沈黙を許された面はあるとしても、ショービズが歪になってしまった(はずの)現代で、ボゥイがこうした慎重かつ勇気ある態度をとったことは実にポジティヴだと思う。創造と日常はイコールで結び難いもので、日々の為に消耗した作品を出し続けてしまう事例は少なくない。それでも彼は無為に表へ出てきて、従来の、沈黙を清算するための「スター」に戻らなかった。過去の偉業を忘れられない人も多いのは仕方のないことだろうが、自分はこの一連の姿勢で、ボゥイは時代に即した新たなピークを迎えているという声の方に納得するようになった。曖昧な定義のまま使われている「ロックンロール」や「アート」のマナーを拒否しつつ、世界規模で影響を与える。何がロックンロールまたはアートなのかは個々の問題だが、ボゥイの試みはこれらの境界を今一度破壊しようとしていたように感じる。これ以上にアートと呼べることがあるだろうか...。

進行形のジャズを取り上げ、音楽的に未踏だったアプローチに挑んだ『★』だが、発表直後に訃報が出たことにより「遺作」、「発表した直後の死」といった付加価値がつくのは避けられないし、死を受け入れてから録音を始めたことを踏まえれば、それは正しいだろう。死をもアートにするという書き方をすると陳腐に感じるかもしれないが、それは実践できた人間が少なすぎるからだ。誤解を招くかもしれないが、『★』の場合は、実に清々しい形で成功したと思う。歴史上にも死の前兆や、自殺の方法として作品を残した者はちらほらといるが、遺言状として完璧に作り上げた例はそうない。そして遺言状とは本人ではなく他者に向けられたものであり、外へ伝達するという表現の目的をも達成していた。ボゥイのように成功や創造はもちろん、それに取り組む機会を得ることですら運で決まるのが世の常だが、数少ない真の平等も世の中にはあり、それこそが死だった。もちろん、突き詰めていけばボゥイのように死を認知して讃えてもらえる人だって、この世では圧倒的に少数派だが本質はそこではない。死が共通の到達点であることを示すことに意味があるのだろう。えてして死を恐れては保身、安全、将来といったものをありがたがる我々だが、そのために現在を全て費やしていいのだろうか・・・いや、そんなわけはない、と青ざめながら、震えながらも思うわけです。

暗く、オカルティズムにも近づく示唆的な歌詞で作られた「ブラックスター」、「私も死んでいく」という歌詞からアルバムで最も明るい瞬間が訪れる「アイ・キャント・ギヴ・エヴリシング・アウェイ」への繋ぎなど、時勢から自身にまで言及しているような、明暗どちらも含めたメッセージが込められている(と、思ったら、be dying toで「したくて仕方ない」という意味でした。衝撃的勉強不足。とはいえ、死があっての意味でしょうが)『★』。死ぬことだけではなく、自分が今までしてきたこと、そして自分がいなくなっても世界が続くということ。後者の歌詞、それも最も重要なヴァースに対する「私は全てを与えることはできない」という訳に関しては、ファンの中でも「あきらめることはできない」の方がふさわしい、などなど議論になっているようだが、自分はこのままで良いと思う。ボゥイに全てを託して、彼や作品を希望という形だけで消費するのをやめる時が来たと考えるべきだ。黒く輝く星は我々の進路を照らしてはくれないのだから。
時代や場所を問わず、例外なく人間は死へと向かっていく。それを教えてくれたのが『★』だった。

(16.1/17)

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