THEビッグオー: パラダイム・ノイズ (2003 徳間書店)

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『FEECO』vol.2でサウンドトラックを取り上げた『THEビッグオー』は、私にとって少々特別な位置づけの作品である。このサイト内で特別な枠を設けて紹介しようと試みたくらいにはお気に入りで(いつかちゃんと更新します)、初めて視聴した時から今日まで、その思いは変わらない。いまや手元にあるのは本編のDVD、それも1stシーズンのインターナショナル版だけで、コミック版も資料集もドラマCDもすべて手放してしまった。しかし、『FEECO』用の記事を書いている途中に改めて関連商品を見直していると、一つだけ手を出していない商品があることに気付いた。2003年発行『THEビッグオー:パラダイム・ノイズ』なるノベライズ作品である。出版時期から推測するに、執筆された時期はその前年、同年に放映されたアニメのセカンド・シーズンとのタイアップだったのだろう。Kindle版も売られていたので早速購入してみた。

 開くとまずはカラー口絵が目に入る。デザイナーのさとうけいいち氏が描いたものではなく、こういってはなんだがバタ臭さがある。そして、結果的に本編からも同じ感想を得た。クオリティが低いという意味ではなく、オリジナルとなる「アニメ」『ビッグオー』とはいくぶん雰囲気が異なるのだ。真っ先に有賀ヒトシ氏が『マガジンZ』(懐かしすぎ)で連載していたコミック版を想起させたが、あちらともまた違う温度である。40年前の記憶を失った住人たちが住まう、外界から閉ざされた都市「パラダイム・シティ」。そこに跋扈する或いは眠る未知のテクノロジー、人間と共存するアンドロイド。ポストアポカリプスものの王道といえる設定に『バットマン』と『ウルトラマン』を盛り込んだ、手塚治虫的レトロフューチャーの進化の一つとでも言えばいいのか、とにかくネタには困らない設定群だ。それゆえに扱いが難しく、料理する者の個性が如実に反映される。
アニメ版は小中千昭氏が『ウルトラマンメビウス』時代の仲間を集めつつ、ゴッサムシティでクトゥルフ神話をなぞるディテクティヴ・ドラマといった趣。有賀氏によるコミック版は、先に述べた手塚治虫的テイストを踏襲したもので石ノ森の香りもある。キャラクターの掘り下げも著しく、ヒロインであるRドロシーや、スーパー執事ノーマン、ゴードン警部ポジションの苦労人であるダン・ダストンはもちろん、アニメでは(セカンド・シーズンを別にして)チョイ役であったヴィラン、ベックのキャラクターを独自の方向へと切り開いた。ここは小中氏にはない『バットマン」 らしさとも言えるかな。
 コミックと同じように、本ノベルもメディアミックスとして割り切って作られているが、意図してのものか否か、アニメのエピソードを彷彿とさせる要素が随所に盛り込まれている点が興味深い。たとえばアンドロイドたちがアイデンティティ・クライシスを伴って暴走するという設定は、アニメに登場したアーキタイプとリヴァイアサン、R.D、「Eyewitness」の連続アンドロイドキラーらが重なる。
キーパーソンとなるイアンには妻と子供がいて、街の隅でつつましく生活を営んでいる。ここは「Daemon Seed」に登場したカップルと同じだ。未知の文化としての「詩」や、それが鮮明な理由もなく売れているという背景もリヴァイアサンのエピソードにあったシュバルツバルト(ノベルには影も形も出てきません)のビラを連想させる。主人公のロジャー・スミスがRドロシーに対して、アンドロイドの非人間性を指摘するところは1stシーズン序盤を思わせるやりとりだ。アニメ、コミック、ノベルがそれぞれ異なる角度から作られることにより、三者の共通点から「題材としての」『ビッグオー』の魅力が浮き彫りになる。同時にシナリオを書く上で一番扱いに困るのは肝心要の巨大ロボット、ビッグオーとメガデウスたちであるとも。

 同じ題材で別の物語を描くのはメディアミックスとして正しいと思う。アメコミだって一人のヒーローを多数の作家が描くことでユニヴァースが出来上がるし、『鉄人28号』だってマンガと特撮と今川泰弘版でそれぞれの像を持っている。「もしも」の範疇内で展開されている『パラダイム・ノイズ』では、アニメで描かれなかった、『ビッグオー』の可能性を見つける楽しさがあるのだ。
とはいえ、悪い意味でズレを見つけてしまう場面もある。たとえば終盤のイアンの腕が切断されるくだり。切断されてばかりでも腕には血が通っている云々のくだりも合わせて、全く別の作品から切り取ってきたような展開だ。キャラクターのセリフ、とりわけロジャーのそれもアニメ版と比べると差異が目立つ。優劣をつけるわけではないが、どうしてもオリジナルの感触を再現するのは難しいようだ。皮肉なことに『ビッグオー』の「詩的」な部分を証明する結果となった(これは『スーパーロボット大戦』のような作品を遊んだ時にも抱いた感想だ)。セカンド・シーズンを最後まで見た人にとっては少々陳腐な言い方とお思いだろうが、『ビッグオー』はオペラ、言葉の作品なのである。ノベライズという媒体だけに、それが克明に表れたといえる。

 アレックスは名前だけ。上で書いたシュバルツバルトに加えて、ベックもエンジェルもアランもヴェラも出てきません!記録メディアの中で出てくるゴードンと、音声がドロシーの「口から」再生される描写は面白かったかな。しかし、主要人物たちのその後がほぼ描かれていないのはちょっと...。


(20.5/20)

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