確定申告に追われる生活になってから、この時期の出来事はあまり思い出さなくなった。しかし東日本大震災は別格である。去年も一昨年も電卓を打ちながら、書類にゼロを書きながら地震が起こった時のことをぼんやりと思い出していた、気がする。地震が起こった年の春から上京し、2014年の12月に戻ってきたわけだが、その間の記憶はもはやなくなりつつある。覚えていても仕方のない出来事ばかりだったが、それでも地震に関しては身体が覚えている。2013年くらいまでは東京でも結構な頻度で揺れていたのだから、それに対する生理反応のようなものが自然と染みついていた。これは近畿で地震を感じた時に思い知ったのだが、反射にも近い速度で身体が引き締まる。ヒドイ時には低音を耳にした時、揺れと錯覚して椅子から尻を持ち上げてしまう。近畿に戻ると、地震の頻度が圧倒的に少ないものだから、いざ揺れた時の心理的ダメージは大きい。東京で過ごした記憶が薄れていく中、残っているのはこうした揺れへの恐怖と金欠の辛さくらいのものである。 記憶がなくとも想像で補うことはできる。しかし、自分がいなかった土地のそれまでは流石に難しい。私の場合は親族の間にあった出来事がそれで、久々に帰ってみたら何故だかややこしいことになっていた、という具合である。生活が満足にいかぬ者は必然的に身内同士で固まり合う。そして不本意ながらにも一つ屋根の下をシェアせざるを得なくなる。そうなった経緯を想像するのは嫌だし、京都に滞在していた頃に感じ取っていた予兆を思い出すのも同様だ。時間が全てを解決してくれると思って抜け出したが、そんなことは一切なかった。自分以上に他人は変わらないものである。 海外に行きたいという願望が日に日に高まるのは、日本全体が嫌なのはもちろんだが、この生活から抜け出す究極の二択の一つを担っているからでもある(もう一つは私以外の全員がいなくなること)。金と技術のない人間が行っても無駄だとは度々言われていることだが、それが果たせるなら、まともに暮らせなくても御の字である。 見苦しい泣き言だが、この4年半、作業のパフォーマンス(稼働率)はハッキリ言って30パーセントくらいのものである。これで年一で海外渡航したり、自費で本を出しているんだから自分を褒めてやりたくなる。しかし、「出すことに意義がある」とか「何もしないよりマシ」が通用する年齢でもなくなったため、そろそろ現実を変えていかねばならない。ハンパなものは務め人の余暇なら許されようが、私はそうではないのだから。もっと早く気付きたかった・・・でも、気付いていたら作れないものもあった。なので過去は深刻に考えるべきではない。今年はなんとかできるだろうか。そんなことを言ってたら4分の1が終わりそうになっている。予定は立ててはいるが実行できる自信が正直ない。一年が充実したら、この数年はたぶん忘れてしまうだろう。それくらいに今の生活には感動と未練がない。 例によって見直さずの一発書きです。 (19.3/11) |
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