『あなたの聴かない世界』14レポート、書き忘れ、告知

本をお買い上げくださった皆様もありがとうございました

『あなたの聴かない世界』無事終了いたしました。まずは主催の持田保さん、出演の永田希さん、会場のブエナさん、来場してくださった皆様に感謝申し上げます。

密会的なムードもあるイベントだったせいか、それほど緊張せずに話せたと思うが、今回のテーマである『England's Hidden Reverse』及びナース・ウィズ・ウーンド、カレント93、コイル、デス・イン・ジューンらのネットワークが広大且つ深すぎるため、どうしてもフォローし切れない部分もあった。オカルト文化とインダストリアル・ミュージックという切り口があったので、話の展開自体に困ることはなかったのだが、それでも説明には順序がある。出てきた固有名詞を検索してみるくらいの興味を抱いていただけたら本望です。それと当日スライドしたアイルランドの写真はアップロード厳禁ですので、よろしくお願いいたします。

彼らが残してきた音楽や詩、美術、そして互いに共有していたオカルティズムやケイオスマジックへの興味はもちろんだが、私が彼らに惹きつけられる最大の理由は、自分たちで独立しようとする試みと、今でも各々がそれを続けていることにある。それはワールド・サーペントのようなネットワークの立案であったり、スティーヴン・ステイプルトンはアイルランド、ダグラス・ピアースの場合はオーストラリアへの移住であったり・・・生まれた土地や長く住んでいる街を出ること、更に言えば、その選択肢を目の前に並べること自体が難しい。その決断と飛び出した先での生活そのものが私にとっては彼らとイコールですらあると感じる。過去の事実を調べていけば、万事上手く行ったとはとても言えないが、それも人生ということで(浅いまとめですいません)。
おこがましいと言えばそうなのだが、彼らが私と同じくらいの年だった頃に、そんな人生のリセットを試みていたことにはたいへん勇気づけられる(スティーヴンに関しては実際に会いに行ったんだから、これくらいは言ってもいいだろう)。
彼らのことを調べていく内に、今まで知らなかった世界へ足を踏み入れたような縁が出来た。ずっと先のいつか、私の取材や著作が誰かにそんな縁や体験を生むきっかけになれば、それ以上嬉しいことはない。ちょうどイベント前に出た『日本のZINEについて知っていることすべて』を読んだこともあって、ますますその思いが強くなりました。やはり私は語ることより書くことが、出すことよりも残すことの方が好きなのだと思う。

以下、話そびれたトピック。1アーティストごとに1回トークしてもいいくらいの面々なので、どうしても後から補完することになる。持田さんのレポートと併せてお読みください。

◆ジョン・バランスが作っていたファンジン『スタブメンタル』。スロッビング・グリッスルやアイリス・イン・ガザについて取材したもので、デヴィット・チベットはこれを読んでからバランスと文通するようになった。スニッフィング・クルーやTGの会報ほどではないが、パンク~ポストパンク時代のDIYムーヴメントに即した出会いがここに。

◆ヒルマー・オーン・ヒルマーソンが現在も最高司祭を務めるアサトル教会、その創設者スヴェインビョルン・ベインティンソンによるエッダの朗読はチベットのデュアトロからCD化。同じシリーズでチベット仏教のリンポシェによるタントラ詠唱もリリース済。アーカイヴにも躍起だったチベットは、後に怪奇小説の復刻レーベル、ゴースト・ストーリー・プレスも設立する。実際にチベットで修業した経験を持つ英国人の作家、ジェームス・ロウや、クロウリー研究家にして小説家のティモシー・ダルク・スミスなど、数多くの師を持つ。彼らの著作は、実際に学んだ或いは体験したものの述懐であり、物語でもある。カレント93だって、そうではないか。

◆ホワイトハウス直前にウィリアム・ベネットが名乗っていたカムはミュート・レコードの総帥ダニエル・ミラーとジム・サールウェルによる編成で音源をリリース。ミラーがザ・ノーマルとしてシングルを出した頃、ベネットは彼と打ち解けて家に遊びに行くほどの仲になる。ミラーがエレクトロニック・ミュージックに抱いた未来のヴィジョンに感化されたのか、それまでギターを弾いていたベネットはワスプのシンセをミラーやサールウェルから買い取り、クリス・カーターにチューンアップしてもらうことでパワー・エレクトロニクスというジャンルの開祖となる。このパラダイム・シフトと、悲劇にまつわるイメージを徹底的に使うアイデアが新鮮だったのはごく短い間だったが、その間にベネットはスティーヴン・ステイプルトンと出会い、パワー・エレクトロニクスの進化(そして一旦の終わり)を決定付ける『エレクター』を生みだす。

◆話に少し出たのが当時ロンドンにあった制度Acme。取り壊しの決まった物件を、その解体工事の日までタダ同然(コージー・ファニ・トゥッティ自伝によると週3ポンド)でアーティストに貸し出すというもので、ジェネシス・P・オリッジはベック・ロードにある物件を幾つもキープしては、仲間と共有していたという。自治体よりも早く物件を発見して紹介するなど、制度を利用し切るジェネシスらのサバイバル術の凄さと言ったらない。サッチャー政権となり日が経つにつれ、こうした制度は後回しにされていくが、ここで育まれた財産は計り知れない。『72-82』というドキュメントにもなっており、DVD化されている。
こうした共有スペースの概念自体は珍しくない(日本の場合は別だが)。ケンジントン・マーケットにあった美容室兼セレクト・ショップ『プロダクションヘア』や、ダイアナ・ロジャーソンが開いていたボンテージ・グッズの店『スキン』など、境遇や感覚が近い人間の集まる空間が芽生える環境が当時のロンドンにはあった。サロン、秘密結社、たまり場、議場、呼び方はさまざまだ。フレヤ・アズウィンのフラット「エンクレイヴ」も近い存在だったのではないだろうか。

◆晩年のコイルはジョン・バランスのアルコール依存が深刻化、それに比例するように音楽とライヴの完成度が尋常じゃない域にまで達していく。亡くなる直前、バランスはパフォーマンス兼ペインターのイアン・ジョンストンとパートナー関係になり、スリージーはタイに独自の拠点を築くようになっていく。二人の仲が悪くなったわけではないが、晩年のバランスの佇まいを見るに、スリージーよりもジョンストンの影響が強いのは明らかだろう。なお、彼は『ジ・エイプ・オブ・ネイプルズ』のジャケットを手がけるほか、コイルの大ファンを自称するアルヴァー(ULVER)のライヴにゲストで参加している。2015年死没。

◆ワールド・サーペント終了後、新たな配給元を探していたチベットはカナダにいるマーク・ローガンに依頼し、ジャナ・レコードを発足してもらう。ローガンはもともとチベットのファンだが、レーベル経営の経験はなく、手探りのままで始めたという。もともとはカレント93の作品ではなく、チベットが敬愛するシンガー、サイモン・フィンとビル・フェイの再発が目的だった。友人を先に考えるあたりにチベットの人柄が見てとれる。結果、問題なくリリースできたことからジャナはNWWやカレント93の復刻も手掛けるようになる。2005年に出た南アフリカのエイズ基金に募金する名目でリリースされたコンピレーション『ノット・アローン』は、英国とカナダを中心にしたネットワークを最大限に駆使したもので、未発表又は新曲だけで構成された怒涛の5枚組。日本からもゴーストや灰野敬二らが参加。

書いていけばキリがない。


更に告知というか報告し忘れたのが、私自身による本の制作。現在執筆中のナース・ウィズ・ウーンド評伝とは別に、来年の1月または2月頭あたりに小さな雑誌に近いものを自費出版しようと手を動かしている最中である(仕事で停滞しっぱなしですが)。
そこには私が個人的に気になったり、前から交流のあったアーティスト(音楽やイラストなどスタイル問わず)へのインタビューや紹介記事を収録する予定なのだが、9月末に行なってきたスティーヴン・ステイプルトンのインタビューも一部分だけ掲載する予定。作業量的に厳しかったり、評伝に書くことが少なくなってしまうのもあるため、載せられる量に限りがあるのだが、日本のレコードに対する認識などを紹介できれば良いと思っている。他にもディスクガイドなど関連した文章を沢山収録する予定です。
予定としては日英バイリンガル表記なのだが精度と量の都合により、日本語のみになる可能性もあり。とりあえず、出た暁にはよろしくお願いいたします。

(17.11/25)